NItty Gritty Dirt Band / Uncle Charlie And His Dog Teddy

Hi-Fi-Record2007-07-11

 深夜放送で耳にしたのか、吉祥寺のぐぁらん堂で耳にしたのか、このアルバム収録された「ミスター・ボージャングル」や「プー横町の家」に心惹かれていたし、カントリー・ロックと称されたブルーグラスとロックを掛け合わせた彼らのサウンドに、ロックの明日があると思っていた。1972年に初来日したときには、厚生年金会館で行われたコンサートにそそくさと出かけて行った。


 まるでラヴィン・スプーンフルの初期作品に収録されていてもおかしくないような「トラヴェリン・ムード」といったジャグ・バンド・タイプの作品もある。カントリー・ブルース風のナンバーをエレクトリック・ジャグに仕立て直している。ニッティ・グリティの出発点となった音楽だ。途中に登場するマンドリンのフレーズがヤンク・レイチェルの奏法のようで、同時期にライ・クーダーが弾いていたマンドリンと似ている。たったいま聴き直して別ったことだけれども。


 とはいえ全体としてはブルーグラスをロック化したサウンドとして、まとめられている。ブルーグラスに傾倒していたジョン・マッキューエンのメンバーの内における比重が高まったからだろう。これまた今にして聴き直してみてかったのだが、1973年にアルバムを発表したエリック・ワイズバーグのデリヴァランスと作品内容がとても似ている。
 そのようにしてこのアルバムを聞き覚えていないのは、たぶん収録の「ミスター・ボージャングル」に大きく気持ちが傾いていたからだろう。


 1972年に中川五郎さんが、クリス・クリストファーソンの「俺とボビー・マギー」と「ミスター・ボージャングル」を日本語でカバーしたシングル盤を発表している。
 ぼくはこのシングルに首ったけだった。大好きだった。
 60年代に鋭いプロテスト・ソングを歌っていた五郎さんが、70年代に入ってこの2曲を歌うことに、ひとりの聴衆として深い意味を見出していたつもりだった。
 だからニッティ・グリティ・ダード・バンドの「ミスター・ボージャングル」を聞きながら、僕の耳の奥では五郎さんが日本語に訳して歌っていた歌詞が響いていた。あのとても優しい歌声と共に。


 今になって聴き直してみても、やっぱりぼくの耳には五郎さんの歌声が聞こえてくる。
 英語と日本語のふたつが同時に響いてくる歌として、ニッティ・グリティ・ダード・バンドの「ミスター・ボージャングル」は、ぼくに数少ない経験をもたらしている。(大江田信)



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