Lainie Kazan レイニー・カザン / Love Is Kazan

Hi-Fi-Record2007-10-11

 先日、店のお客様と雑談をしていて、ふとしたことで東京には都電によって出来た街があるという話になった。今では都電は早稲田から箕輪にかけて走る独立軌道を持つ一路線しか残っていないが、かつては山手線内のエリアを中心に、幹線道路には必ずと言っていいほどに都電が走っていた。今で言うところの環状八号線の内側まで延びていた路線もある。
 麻布十番という街がどうしてあれほどにまとまったカタチでできあがったのか、今の状況からは考えにくいが、かつては都電の駅があったとなれば、なるほどと納得できるに違いない。古川橋から田町にかけての一帯とか、新宿から荻窪にかけての青梅街道よりも南側の町並みなどは、都電の路線を抜きにしては、あり得なかったのではあるまいか。


 今週の週刊文春に昭和33年の町並みと今の町並みを航空写真で比較するグラビア・ページがあり、そこに西新宿の淀橋浄水場の写真が掲載されていた。
 それを見ているうちに、記憶が蘇ってきた。荻窪駅前を始発とする新宿方面行きの都電が、左にカーブを取りながらえっちらおっちらと坂を上っていくとき、右側の車窓に黒々とした浄水場が見えた。ギシギシと車輪がきしむ音が聞こえたように思う。なぜか記憶の中では、雨が降っている。新宿行きの都電に乗るときは、必ずと言っていいほど診察のために大学病院へ向かう道筋だったので、気持ちが暗かったのかも知れない。
 木造で出来た床には油が塗られ、雨の日にはなんとなく滑りやすかったし、独特の匂いを発していた。街にはいまのようなネオン・サインなど皆無に近かったし、薄黄色の光りを発する白熱灯がぼんやりと輝いていただけだった。新宿の駅に前に辿り着く直前まで、街は薄暗かったように思う。


 なぜレイニー・カザンのレコードを聞いている時にこんなことを思い出したのか理由はよく分からないが、おそらくそれは彼女の歌声にほの暗いニュアンスが隠れているからだ。
 歌というものは、本人の意図や演出を超えて人の心の地肌を表出してしまうもの。どこかしら心に暗いものを抱えていた人だったのかも知れない。美人俳優だったという。
 それにしても歌がうまい。相当に工夫された知的でスタイリッシュに気取った編曲に、スムースに自身のボーカルを乗せている。サウンドに負けていない。
 ボビー・ヘブの「サニー」が、カバーされている。これが暗い。それがたまらなくいい。
 MGMにはこの手の女性シンガーのアルバムが散見される。どうしてなのか、不思議だ。


 レイニー・カザンの声が、そこにあるようで、やはり無いような、あえかな記憶を刺激してくる。(大江田 信)



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