Felicia Sanders フェリシア・サンダーズ / I Wish You Love
フェリシア・サンダースは、パーシー・フェイス・オーケストラの1953年の大ヒット、「ムーラン・ルージュの歌」にヴォーカルで起用された美人白人歌手。
その際のクレジットは、Percy Faith and his Orchestra featuring Felicia Sandersとなっていた。
パーシー・フェイスとフェシリア・サンダースを結びつけたのは、コロムビア・レコードの制作畑に籍を置き始めてほどないミッチ・ミラーだった。
同曲は、全米1位の大ヒットとなった。
シングルがリリースされる直前に、彼女はニューヨークのクラブ「Blue Angel 」と契約していた。
長い期間に渡って、彼女はここに出演した。そして今では「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」として知られる「In Other Words」を始唱した。
60年代に入ってピアニストのジョー・ハーネルがこれをボサノヴァにアレンジし、タイトルを「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」として発表。同ヴァージョンが知られるようにようになって、始めて多くの歌手が取り上げるようになった作品だという。
数年前に「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」のことを調べていて、そうした記述に出会ったときには、いささかびっくりした。時代のトレンドのボサノヴァに引っ掛けたヒット狙いの曲じゃなかったということ、しかも作者はクラブのお抱え司会者であるバート・ハワードという人物だったということ。面白い運命を辿った曲だ。
フェリシア・サンダースは、時代が時代だったら、ドリス・デイのようになってもおかしくなかった人だと密かに思うことがある。いかにも正確な白人的な英語の発音に、お嬢様らしさを感じる。
ミッチ・ミラーがその後もヒットを狙ったけれども、なかなか実らなかったという。だからなのか、同時代にコロムビアからアルバムのリリースが無い。これはタイムからのリリースだ。
彼女の資質を存分に生かしきっているかというとそうでもないのが残念だが、上品で愛らしいアルバムだ。
フェリシア・サンダーズ は、1975年にガンで52歳で亡くなってしまう前年、ロッド・マッケンが主宰するレーベル、Stanyanからアルバムをリリースしている。
そのアルバムと、早く巡り会いたい。(大江田信)