Herb Alpert And The Tijuana Brass / Sounds Like...

Hi-Fi-Record2008-01-07

 出勤中の電車で朝日新聞を読んでいたら、「ラティーノを知ってますか」という記事を見つけた。ロサンゼルス在住の記者による寄稿で、今やロサンゼルス郡人口一千万の47%をラティーノが占める「ラテン化」について述べ、かつて親密な関係にあったラティーノ社会と日系社会との関係に触れつつ、今も色あせないアメリカの魅力は「多様性」にあると記事を締めくくっている。文中では、アフリカ系を抜いて、今やラティーノアメリカ最大の少数派となったことも添えられていた。


 ロサンゼルス界隈の人たちが、メキシコに遊びにいこうと思ったら、そんなに難しいことではない。車で半日も走れば国境を越えて、メキシコに入っていける。「South Of The Border」という響きには、魅惑のささやきが潜んでいる。輝く太陽と、美酒と美女たちがほの見える。
 サンディエゴから国境を超えるという体験を実際に経験してみると、とにかく入国は実に簡単で、パスポートのチェックにしても、車のトランクや手荷物のチェックにしても、形式的なものだった。ドルを落としてくれる観光客を大歓迎といった風だった。
 それにくらべてメキシコからアメリカに戻るときの厳しさと言ったらなかったのだけれども。


 ハーブ・アルパートは、バンド結成前にロスからメキシコに何回か遊びにっている。ティファナ・ブラスを発想する背景に、そうした経験があったことは間違いないようだ。
 ロサンゼルス界隈では、すでに50年代から相当数のラティーノが暮らし始めているが、ティファナ・ブラスの音楽が実際のそうしたラティーノから支持を受けたのかどうかは、定かではない。むしろなんとなくメキシコにあこがれを抱いている多くの白人層が、ソフィスティケーションされたメキシコ風味の音楽を受け入れたと考える方が自然だとは思う。
 それにしても60年代のアメリカに「メキシコ」をあこがれる素地があったことは、注視していい。類いまれなる才能がティファナ・ブラスに結実させたのは、ロサンゼルスの固有の成り立ちを背景にした街の自画像的な音楽なのだから。



 これはティファナ・ブラスの当初のそうしたコンセプトから、一皮むけてよりA&M的なソフィスティケーションに向かい始めている時期の作品だ。
 いわばティファナのブラス隊が演奏するトレンディ風味満載のアメリカン・ポップス集。



 今に至るラティーノ系のアメリカ音楽の水流が、この頃からもう既に始まっていたのかもしれないと想像してみるもの、楽しいのではないかと思う。(大江田)