Jim Kweskin ジム・クエスキン / Jump For Joy
このところ、菊地成孔さんが書かれたジャズについての本をずいぶんと読んだ。楽曲や演奏のアナリーゼもおもしろいし、ジャズの歴史のダイナミズムについても、思わずうなずかされることが多い。もしかすると、21世紀のいま読むことが出来る最も刺激的なジャズの論考だろうと思う。行間には、ジャズの道筋を先んじて歩んだ大いなる音楽家たちの足音が力強く響いている。
毎晩のベットサイド・ブックとしては、このところ最適の一冊だ。
それにしても。
ジャズは誰ものなのだろう?
先行者たちが研ぎすましたジャズがあることは、間違いがない。
そして同時に、誰のものでもなく、誰ものでもある「ジャズ」があるのではなかいか?と、ふと思う。
ぼくの興味は後者に向く。
鼻歌で歌えるジャズ。手近な楽器で歌えるジャズ。忘れてしまいそうで、かすかに覚えているなつかしいジャズ。
そんな気分が一杯のアルバムがジム・クエスキンの「Jump For Joy」だ。
もしかするとこれは、周回遅れのジャズ・ファンの姿なのかもしれない。
それは、それでもいいさ。
なにより、こうして愛されるジャズがあること、愛している人がいること、ボクには、その幸せが楽しい。
ボクはジム・クエスキンよりも、もう一回りか、ふた廻り周回遅れの世代。
今では、いろいろなジャズの愛し方を見いだし、楽しむことが出来るようになった。
それでも、やっぱりジム・クエスキンのジャズの愛し方が好きだ。好きで好きでたまらない。(大江田 信)