Rod McKuen / Back To Carnegie Hall With Stanyan Strings
「いつもレコードのことばかり考えている人のために。」の見出しの一つに、「裸のマハ、着衣のマハ」がある。
ご承知のように、これはスペインの画家、ゴヤが書いた2対の絵のタイトルだ。体を横たえたマハが、着衣の姿と裸体の姿で同じポーズで描かれる。「マハ」とはいったい誰なのか、誰がモデルになのかと騒がれ作者のゴヤが裁判にかけられたり、プラド美術館は展示することなく100年もの間にわたって地下の倉庫に保管したなど、物議を醸し出した絵だ。
この見出しが添えられたページには、どのようなレコード・ジャケットが集められているか、本を手に取って確かめていただきたい。それにしても言い得た見出しが付けられている。
ゴヤに興味がある。
工場でタペストリーの下絵を描いて頭角を現し、宮廷画家になった。
その後、重病から耳が聞こえなくなった。
フォークロア・アートであるタペストリーの下絵画家から、注文に応じて書く宮廷画家へ。
それは一介の職人が商業作家へと歩んだ道すじだ。それも当代きっての栄光に満ちた成功者の道を。
その彼が晩年になって描いた絵の一枚に、「砂に埋もれる犬」がある。絵の片隅に、砂の中に滑り落ちているかの一匹の犬が描かれる。
この絵が、昔から気になっている。
まさか、彼はこれを自分のために書いたのではあるまいか。
成功を得た商業作家が、晩年になって自分のために絵を描くなどということがあり得るのか。
ぼくにはよくわからない。
でもそう思えて仕方がない。
歌の世界では、あり得ることだと思う。自分のために歌を書き、歌うということ。
数々の成功をつかんだロッド・マッケン。
このアルバムの「Jean」を聴いていると、確かに映画主題歌として書かれた出自の曲には違いないのだが、自分という聴衆に向かってロッド・マッケンが歌いかけているように、思われてならない。
そうした態度が、彼の歌に一定の硬質さを与えているように感じるのである。(大江田信)