Barbara Carroll バーバラ・キャロル / Barbara Carroll

Hi-Fi-Record2009-08-17

The Cool School 46 おわりのはじまり はじまりのおわり その1


同業者の嘆きで
最近一番おもしろかったもの。


「ああ、十年前に今の情報持ってたらよかったのに……」


インターネット時代の情報量で
いち早く買付が出来ていれば
現在入手困難なあんなアルバムも
こんなシングルもざくざく買えたのに、というわけ。


ぼくにとっては
もっと単純。
「ああ、80年代や90年代に買付をしてみたかった……」
ということになる。


プラザ合意(1985年)以降の急激な円高を背景にした
海外買付のメリット増大と
古いアナログ盤に眠っていた音楽的価値を掘り起こした
アナログ・ルネッサンスという
日本独自のふたつの事情によって
海外中古輸入レコード店の存在感がぐっと増した時代。


そしてそれは
インターネットの発達による情報の均質化と
めざとく生き抜くための競争の激化が
多くのレコード屋が持っていた
独立独歩で
どこかほがらかなムードを
じわじわと毒してしまう
はるか以前でもあった。


2001年から買付に同行し始めたぼくは
そのしあわせな時代のおわりのはじまりを
ぎりぎりで体験したと言えるだろうし、
同時に
現代を生き抜いているレコード屋たちの
あたらしい生き方が
ひとつのスタンダードとして定着しつつある
はじまりのおわりにいるという実感もある。


おわりのはじまり
はじまりのおわり。


売る方も買う方も忙しかった絶頂期には
見えなかったであろういくつかの印象的な風景を
ぼくなりに伝えられたらいい。
このタイトルでは
そういうビジネスの変化についての雑感を
折に触れて書いていきたい。


西海岸のある街、
ひとも車もにぎやかな交差点に差しかかると
大江田さんが「ボブの店はこのあたりだった」と切り出す。


その思い出話を
実はぼくはもう十回近く聞いているのだが、
「まただよ」という気持ちには不思議とならない。


アメリカの中古レコード・ビジネスにおけるパイオニアのひとり、
ボブがかつて経営していた小さな店は
角の右手にあった。


ぼくはボブを知らない。
彼はぼくが買付に行くようになる前に
亡くなった。


ぼくが知っているのは
大江田さんが断片的に話すボブの思い出でしかない。
しかし、
ハイファイ・レコード・ストアの現在に
ボブが影響を与えているのは確かなようだ。


ボブの話は
いつもこの交差点を横切るわずかな一瞬しか出てこないが
そのわずかさが
逆にぼくにボブという人間のことを
はかないほどに愛おしく思わせる。


ボブはこの街のレコード・ショーを仕切っていた。
ボブはチェーン・スモーカーだった。
ボブは中華料理をごちそうしてくれた。
ボブには別れた奥さんと娘がいる。
ボブはジョン・サイモンの連絡先を日本に紹介した。
ボブは東部のあの街にすごい店があるぞと教えてくれた。
ボブはガンにかかっていると告白した。
ボブが亡くなる一ヶ月ほど前に電話で話した。
ボブが死んだと聞いたときハイファイのスタッフは泣いた。
ボブの店はもうない。
ボブと行ったチャイニーズ・レストランも、もうない。


ボブの店でどんなレコードを買ったのかよりも
ボブの店が間違いなく良い店だったことが
ぼくにはよくわかるような気がするのだ。


ボブは
21世紀が始まる前に亡くなった。
ぼくにとって
会ったこともなかったボブというひとは
20世紀のおわりのはじまりに殉じた
永遠にまだ見ぬ憧れの存在にいつしかなっていた。(この項不定期につづく)


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ジャズ・ミュージシャンや
イージーリスニングのアーティストが
ポピュラーなヒット曲をカヴァーするという伝統は
もうとっくに廃れてしまったのだろうか。


世代を超えて親しまれ続ける
メロディのあるヒット曲が激減したとか
理由はいくつもあるのだろう。


だが、
その激減は近年だけの現象ではなく
70年代に入るとすでにその兆候は多く見られる。


ポピュラーなヒットチャートに
ロックもポップスもソウルも映画音楽も
ほがらかに同居していた時代が
70年代を境目に変化してしまうことが大きかったのだ。


音楽を聴く層の棲み分けが進み、
若者たちの聴く音楽を
おとなが演奏することにあまり意味がなくなってしまった。


女流ピアニスト、バーバラ・キャロルの弾く
ジャニス・イアンの「17歳の頃」を
この曲を知る世代でもないぼくが単純にいいなと思うのは、
そういう時代の分かれ目にある
ほろ苦さもいくらか成分に含まれているからに違いない。(松永良平


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