Ella Fitzgerald エラ・フィッツジェラルド / Ella

Hi-Fi-Record2009-08-18

The Cool School 47 おわりのはじまり はじまりのおわり その2


北の街で陽気なディーラーに会った。
彼は陽気なだけじゃなくて
とても頼れる男だった。


それもそのはず、
ディーラーというのは副業で、
彼の本職は
アメリカ中西部の北側一帯を担当する
ローカルな音楽プロモーターにしてエージェント。


アメリカの各地に存在するインディペンデント・レーベルと
メジャー・レーベルの間を橋渡ししたり、
この地区のプロモーション活動を担当したりするために
毎日忙しくあちこちを走り回っている。


ひととひととをつなぐ仕事をする上では
信用を勝ち得ることが何よりも第一なのだ。


車であちこちの都市を訪問しながら
その土地土地のナイスなレコード屋を発見しては
好きなレコードを買い込んでいるうちに
インターネット時代が到来し、
もうひとつのビジネスチャンスを彼は見つけたというわけ。


ただ、そこには彼なりの哲学があった。


「eBayは信用ならんね。
 オークションは
 売る側にも買う側にも危険なマネーゲーム
 おれはそういうのは嫌いだ」


“こっち”とは
いわゆるセット・セール(定価販売)を旨とした大型通販サイト。
世界中のディーラーたちが集まるそのサイトで
彼は着実に利益をあげたのだという。


「一枚で大きくはもうからなくても
 地道にやるのさ。
 ほら、おかげでおれは家を買えた」


郊外の静かな住宅地に
彼は一軒家を構えていた。


倉庫を見せてくれるというので
さっそくおじゃましてみたのだが、
そこに並んでいた莫大なレコードのラインアップは
ぼくたちには一種のカルチャーショックでもあった。


レアなのが全然ないぞ……。


彼が利益を稼ぎだしているのは
いわゆるクラシックロックの定番アイテムや
パンク以降の人気盤。
希少性を売りにするのではなく
買いやすい値段で多くのひとが欲しがるものを売っているのだ。


買付として考えれば
彼の倉庫を訪問した釣果は悲しいほど少なかったが、
そのときに痛感した
彼のビジネスセンスは
ぼくたちにも大きな教訓になった。


マニアックな観点からすれば
彼は落第。
でもそのために情報をやみくもに追っかけたり
レア盤集めで資金を投資したりするよりも、
売るべきもの
聴くべきものは
目の前にたくさんあるってことを知ろうじゃないの。


抜け目がないってのは
案外そういうことを言う。


この愛すべきディーラー、
今もあちこちを走り回っているらしい。


彼もまた
おわりとはじまりの交錯する時代の申し子なのだと思う。


その忙しさにちなんだハンドルネームは
チャック・ベリーの名曲の一節から採られている。
このブログを読んでいるひとも
ひょっとしたら
ネットのどこかで出会うことがあうかもしれないね。(この項不定期につづく)


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昔、
バイト先のレコード屋の同僚で
エラ・フィッツジェラルドの大ファンの女の子がいた。


買い取りで
「エラ・イン・ベルリン」が入荷すると
彼女は必ずそれをかけていた。


たぶん、
その一時期で
ぼくは一生分はあのレコードを聴いただろう。


天賦の才能というにふさわしい歌声は
彼女のためにある。
だが、その奔放さが
ある時期からちょっと苦手になった。


たぶん、
ぼくの20代の人生が
彼女の天衣無縫のスキャットほど
自由にうまく行ってないと思えた時期だったのだろう。


そんなときにこのレコードを初めて聴いた。
ビートルズの、ちょっと変わったカヴァー集で
彼女が本作収録の「サヴォイ・トラッフル」を
歌っていたのを聴いたのがきっかけだった。


アルバムを通して聴いて
思わず泣いてしまうほどぐっと来たのは
ニルソンの「オープン・ユア・ウィンドウ」だった。


自由気ままな王女さまだと思っていたエラが
こんなに優しかったのかと
気がついた。


ぼくが若くてとんがっていた時期には
気がつきもしなかった種類の優しさ。


素晴らしい音楽家
一生をかけて
その実力をわからせるのだと
そのとき心底思い知った。


試聴サンプルからは惜しくももれたが
マーヴェレッツのカヴァー
「ハンター・ゲッツ・キャプチャード・バイ・ザ・ゲーム」も大好きだ。(松永良平


試聴はこちらから。