The Eclectic Brothers エクレクティック・ブラザース / Same
この日のCool School 100回目ブログで、松永クンが記した女性二人、ジュリーとオーラリーのうち、その後のオーラリーの消息が分かった。
とあるレコード・ショウの会場で、テーブルを出している並みいる店主のひとりに、彼女達と同郷の老人がいた。もしや彼女のその後を知っている?と聞いてみたら、なんだ、お前こそあの店のことを知っているのか?と切り返された。
あなたが暮らす街は、実はアメリカでも最も好きな街なのです。かつては、くり返し通いました。彼女たち二人のほかにも、ジョニーとも親しいし、ほかにも懇意にしているお店もあります。それにしてもどうして彼女達は、お店を売ってしまったのでしょう?
こんな風に聞くと、店主氏は、なんだ、お前はジョニーとも知り合いなのか、そうなのかと言って胸の前にぐっと腕を組んだ。それはそれは長いストーリーでなあと口火を切って、話を始めた。
誰がどうしてこうなって、そしてその時ジュリーはまだ10代の学生で、などと彼が話してくれた顛末の一切を書いていると、大変なことになる。それでも彼が教えてくれたことの三分の一くらいはなんとなく知っていた。
で、結局のところオーラリーは?と聞きながら、長い話の先を促すと、自分が彼女と会って聞いた訳じゃないんだ、人づてに聞いた話だけどな、と前置きをしながら教えてくれた。
オーラリーは、結婚したんだ。
それでな、亭主と一緒に、丸太を組んで河にいかだを作ったんだ。まるでトム・ソーヤーだな。なんのエネルギーも無い、明かりもない、ただのいかだだ。それで二人で旅を始めたんだ。河の流れに身を任せて下って行く、それだけの旅だ。
まさか?ほんとに?と受け答えをしながら、ぼくは思わず笑った。彼女だったらやりかねないなと思ったし、なにが起きるかわからない、そんな毎日に身を任せてみたい、人生にそんな時間も必要なのよ、くらいのことを言いかねないと思ったのだ。
だろ、わかるか、彼女はまるで子供なんだよ、と店主氏は言う。彼もにこやかに笑っている。She's like a child。
彼女達が店を売ることで引き換えに得たものが何なのか、そもそも何かを引き換えに得ようと店を手放したのか、ぼくにはわからない。ジュリーとオーラリーの二人ともが結婚をしたことが、店の運営になんらかの支障を与えたのかもしれないが、それも本当のところはわからない。彼女達は、別の人生にリセットした。
彼女達のセンスが存分に発揮されたレコードの選択が、楽しかった。彼女達が選び取った音楽を、僕たちはもはや手にすることは出来ない。もう叶わなくなった。返す返すも残念なことになったと思う。
店を買い取った新たな店主について、彼は手厳しい態度を見せた。
ダメだ、あいつは位の言い方だった。
それはアメリカのとある田舎街の、いくつかのレコード店を巡るささやかなヒストリーではある。しかし同時に、どこかしらに「child」な感性を持つ耳が選び取ったレコードの面白さに惹かれていたのだと、改めて気づかされた一瞬でもあった。
ハイファイにたどり着くレコードの一枚には、時にはこんな背景がある。
このレコード、もしかしたらジュリーとオーラリーのショップで見つけたような気がして。(大江田信)
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