Milton Brown & His Musical Browniers / Clayton McMichen’s G
昨日の続き。
SPの時代の録音スタジオは、まさに音楽を録音するための場所だった。それまでに十分に人前で演奏されていたり、十分に練習が積まれてきた音楽が録音された。
スタジオに入るまでに音楽は充分に練れていた。スタジオは練習場所ではなかったし、実験場でもなかった。
スタジオで新曲を録音する。それからツアーに出る。そしてツアー先でそれらを収録したアルバムを売る。
そういった「制作と販売の一連の流れ」の中に組み込まれたレコーディングよりも、はるか以前の時代だったということもある。
スタジオを実験場にすることを、悪いと言いたいのではない。
SPの時代の音楽は、必ずやライブで演奏されたものを録音している。つまり音楽は、目前の聴衆がいないだけのライヴ録音のようなものだ。聴衆の反応が、すでに織り込まれた音楽なのだ。
SPに収録された音楽を聴くと、そうした実態の伴った音楽だということを、つくづく感じるのである。
いわば良質のドキュメンタリーを、聞いているようなものだ。
例えばクレイトン・マックミッチェンの演奏を聞いていると、土曜の夜のテキサスのダンス・ホールの熱狂が見えるような気がする。ウエスタン・ブーツを履いてテンガロン・ハットをかぶり、ウエスタン・シャツを着た男女カップルが微妙に体をふれあいながら踊る姿、とか。
CDが売れなくなりダウンロードが当たり前になり、音楽の未来がなんだか暗澹としているいま、やっぱライヴだぜと、テレビで菊地成孔が言っていた。
この「ライヴ」が、CDの再現をしながらCDを売るためのライヴではあって欲しくないと思うとすれば、熱気あふれる「ライヴ」な音楽はSPにいっぱい入ってますよと言ってみたいと、ふと思ったのだった。(大江田信)