Benny Goodman ベニー・グッドマン / Meeting At The Summit

Hi-Fi-Record2011-07-14

 高校のころ、試験がとてもイヤだった。真面目な学生などではなく、それは不真面目な学生だったからだ。毎日の授業が終わると、内容がわかろうとわかるまいと、わかったような気になって、クラブの部室に向かっていた。今晩おさらいしようと思いながら教室を出るのだが、家に着く頃にはくたびれてしまっていて、教科書など開くことはない。


 各クラスの部屋の前に用意されていた個人用ロッカーに教科書の一切を閉まってしまい、家には全く持ち帰る事のない豪傑も居たけれども、そこまでは出来なかった。カバンに詰めて、家に持ち帰ってはいたものの、それはあくまでも持ち帰っているに過ぎなかった。日常的に家で教科書を熱心に開いた記憶は、まず無い。


 要するに試験前にシャカリキになってやれば、何とかなると思っていたのだった。試験をなめていた。
 いざ試験の二週間ほど前になると、ぼんやりとした頭で教科書を開くことになる。するとすぐに気がつくことになるのは、自分が内容を全く理解していないことだった。
 愕然とした思いで、胃をキリキリさせながら、教科書のページを繰った。そしてノートを作った。本人は真面目にやっているつもりなのだが、試験範囲のすべてのさらうことは出来ない。試験が目前になると、上っ面をなぞるだけで時間が過ぎた。


 試験の当日になって、自前のノートを広げていると、前の席のOクンが振り向いて言う。「こんなにクソ真面目にノート作ったって、こんなとこ、試験に出ねえよ。試験勉強なんて、範囲の全部をやる事無いんだ。お前、要領悪いんだよ」。
 確かにその通り。ボクがコツコツ復習したところは、試験に出なかった。
 Oクンの言い方を借りれば、試験の点の取り方が、お前は下手だということだ。その点では、彼は天才に近かった。
 誰もが進学を希望した大学の建築科に進んで、彼は建築士になった。
 ついこのあいだ何十年か振りに会ったら、構造計算を専門にする建築事務所を経営していた。どうやら仕事にも、大変に恵まれているらしい。目前の試験の点が取れるだけの男ではなかった、ということなのだろう。
 

 今でも、たまに試験の夢を見る。試験の前に、ひどく焦っている夢だ。
 試験の前まで悠然としているくせに、いざとなって教科書をパラパラすると、ひどく焦る。この焦る感じが、夢に出てくるのだ。


 この頃に、一つ学んだ事がある。
 自らの無知や蒙昧を知りたくなかったら、首を突っ込むなということだ。
 この奇妙な自己防衛の方法は、未だに自分の中で生きている。
 ことに音楽の場合に、ことさら意識することになる。このあたりには、論理の飛躍があるのだが、本人は全く意に介さない。
 要するに自分が無知蒙昧だとわかりながらも、興味や喜びが勝る時には、ボクは首を突っ込んでしまうのである。首を突っ込むとなったら、それは際限が無くなるのだ。資料をあさり、音源を聴き、人の話を聞き、時間を費やすことになる。
 そういう自分と知っているので、なんだかこれやヤバいぞと思う音楽には、手を出しながら引っ込めることもある。手を出すからには、そして興味を抱いたからには、根性を入れて聴くんだぞという内なる声がボクに呼びかける。



 妙な出来事ではある。
 しかし自分ではわかっている。一人の音楽家でも良い、ジャンルでも良い、とある地域の音楽だろうと、そんなことは関係ない。
 今となっては、手を出すべきか、引っ込めるべきか、逡巡させられる音楽ほど、ボクにはホンモノなのである。
 悩ましいという表現は、こういう時にこそピッタリ来る。悩ましい音楽ほど、ぼくにはホンモノなのだ。


 こういう音楽が、気になってしょうがない。
 叙情という言葉から、なるべく遠い音楽を聴きたくなっているような気がする。(大江田)



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