Pepe Jaramillo / Manuel & The Music Of The Mountains / Manu

Hi-Fi-Record2011-07-15

 昨日の続き。


 見なくたってすむ場合は、見ないですませる。ぼくが得たのは、それがうまく生き抜くこつだという教訓だった。
 そしてまたこれが試験勉強の極意だということを、Oクンから教わった。見ないですむ教科書のページは、見ない。彼ははっきり公言していた。
 その彼はクラスでベスト3、学年でもベスト10に入る秀才だった、ということを最近になって知った。そのようなデータが発表されていたことすら、覚えていなかった。いや、全く知らなかった。試験の成績なんて関係ない文科系進学グループの末席で、のんびりして過ごしていたのだ。


 「見なくたってすむ」ことの中には、見たくもないものと、実は見て見ぬ振りをしているものがあることを、こういう口ぶりをする人間は知っている。
 これがクセものなのだが、要するに「見て見ぬ振りを」してきたものは、実は相当に面白いのである。
 音楽も、またしかり。見て見ぬ振りをしてきた音楽に、どうもこれまでとは同じ振る舞いが出来なくなってきた。


 人のせいにしていいのならば、それは動画投稿サイトのアップされている音源やライヴ映像のせいだ。なんとなく眺めているうちに、おっとこれは面白いぞとなると、果てしなく音を探し求めることが出来る。そうこうするうちに、PCのスピーカーから聞こえてくる音源をたよりに、レコードやCDを探し始め、つい購入する。届いてみると、音が違うじゃないかと憤慨してしまうことも少なくない。
 昨日届いたカルロス・ガルデルの「アディオス・ムチャーチョス」もそうだった。あれ、こんなオーケストラ付きの音源があるんだと知り、探し出して買ってみたら、なんのことはない、既に持っている弾き語り音源だった。許せないぞと思っても後の祭り。こんなことの繰り返しばかりしている。


 ことのしだいはこんなもので、見て見ぬ振りをしていたはずが、今では両目を開けてしっかりと見るようになった来たのだ。
 おかげで、あれやこれや欲しいレコードが増えた。


 ペペ・ハラミジョは、アルバムを何枚か持っている。
 演奏のトータル・タイミングがそれとなく短くて、なんともお腹いっぱいにしてくれない人だなあと思っていた。鮮やかな音色に、いまひとつ陰りが無くて、味が薄いと思っていた。
 それがこのアルバムを聴いているうちに、自分の思い込みを改めようと思った。
 このところ、メキシコの音楽に興味を抱き始めているということもあるのだろう。そういえばこのあいだレコードを整理していたら、アウグスティン・ララのボックス・セットが出てきた。なんという偶然だろうと、ひとりごちた。


 マニュエルこと、ジェフ・ラヴの音楽センスがペペ・ハラミジョのピアノに適度な湿り気を与えている。なめらかな肌触りが、ここちいい音楽。(大江田信)



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