Xavier Cugat / Feeling Good !

Hi-Fi-Record2006-08-05

 ザビア・クガートは、タバコが吸えなかった。
 しかしラテン・ミュージックのキングのイメージを保持するために、葉巻をくわえてにこやかに笑っている写真を撮らせた。かつて恰幅よく太り葉巻をくわえている男ほど、人生の夢を果たした金満家と考えられていた時代を経験したアメリカ。そうした気分の余韻がまだまだ残る1940年代から60年代にかけて、彼は適当に恰幅よく、適当におでこを光らせながら、写真の上がりを想定して周囲が用意したのではないかと思われる、ほどよい大きさの葉巻をくわえ、身体を斜めに向け写真に収まった。



 人々がラテン音楽に抱いているイメージもよく理解していたに違いない。ラテン音楽にうとく「リズムに乗れない・聞く耳も持たない」アメリカ人のために、当初はオーケストラのフロントに美女を並べ、そのうちの何人かと結婚したという嘘のようなホントの話も残されている。と同時にパブリシティ写真が持つ意味や機能も、彼はよく理解していたのだろう。そんなことからクガートのことを音楽家であると同時に、むしろ巧妙に音楽を売り歩いたビジネスマンだと考えることが、通例になっているようだ。


 ところが、いざ音楽を聞いてみるとほんとにそうなのだろうか?と思わず立ち止まってしまう。
 クガートの音楽は、とても品がいい。同時代の日本で人気を誇ったラテンのペレス・プラードの情熱的なそれに比べると、おどろくほどにひんやりとした気品がある。
 そして彼のサウンドには、あざとさがない。むしろ地味だと感じることすらある。心の奥にひっそりとしまい込まれている場所で、静かに響いているサウンドとの印象を感じることもある。


 葉巻をくわえてにこやかに笑っているミスター・ザビア・クガートに、青臭い質問をしてみたかった。
 あなたは出来上がった音楽を売ることにかけては、随分と知恵をしぼり、サービス精神をふりしぼり、情熱を傾けたようですね。にもかかわらず、こと音楽の制作に関しては、自身の感性を曲げることは無かったのではないですか? 決して妥協をしなかったのでは?


 ふふふ、どうかな、そう感じるのか? それは、それでいいじゃないか。
 葉巻をくわえてこちらを向いているクガートからは、こんな答えが帰ってくるような気もするのだが、さて。(大江田)


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