Marshall Crenshaw マーシャル・クレンショウ / Marshall Crenshaw

Hi-Fi-Record2006-09-25

今日9月25日は
武田百合子
アジャ・コング
内山信二の誕生日(人選に偏りがありますことをお詫びいたします)。
みなさま、おめでとうございます。


ただ、今日は昨日のことを書く。
5年前の9月24日のことを思い出す機会があったからだ。


この〈9・24〉はぼくにとって〈9・11〉よりも感慨が深い。
ぼくはこのとき、
名古屋で「TWANG!」というマーシャル・クレンショウのファンジンを主宰する
伊藤いずみさんと一緒に、マーシャルの6年振りの来日公演のサポートをしていた。
オープニング・アクトとして、
若き通好みシンガー・ソングライター、マイケル・シェリーの同行も決定していた。
彼もまた長年のマーシャル・ファンなのだという。


ところが、いよいよ来日まであと二週間というタイミングで、
あの同時多発テロが起きた。
とにかく、マーシャルはおろか、日本人旅行者ですら、
どのタイミングで帰れるかわからないという緊張状態が数日続いていた。
飛べる飛行機が制限され、航空券の入手が困難になっていたのだ。
確か、ブライアン・ウィルソンの来日公演も、この影響で延期になったと記憶している。
来日にそなえてパンフレットを制作すべく進めていた準備もいったん中断した。


絶望的とも思える状況の中で、
伊藤さんとも随分話し合いをした。
個人による興業だったため延期による金銭的ダメージは大きく、
延期は必然的に中止を意味した。
そんな渦中で、実はぼくたちを励ましたのはマーシャル本人だった。
ツインタワー崩落の土埃が、彼の住むブルックリンまで届いたほどの大事件であり、
アメリカ人であり、ニューヨークに住む彼が一番ショックを受けているはずなのに、
「自分が最善を尽くしてチケットを手配するから、中止にするのは待ってくれ」と言い続けたのだ。


そして、公演初日(京都磔磔)まであと一週間となった日に、
マーシャルから日本行きの航空券を確保したという心強い連絡が入ったのだった。
しかし、パンフを印刷するには、もう日にちがない。
そのため、本来、印刷所を通してきちんと製本されるはずだったパンフレットは、
急遽、簡易コピー機で印刷され、ぼくの手作業で製本されることになった。


表紙のイラストを描いていただいたり、
コメントや広告の協力をいただいた方々には申し訳ない思いはあったが、
表紙に描かれたマーシャルの胸にオマケで用意したバッヂを刺すと、
不思議なほど落ち着きが良かったのを覚えている。


そして、2001年9月24日京都の磔磔
マーシャル・クレンショウとマイケル・シェリーのジャパン・ツアーは
無事に幕を開けたのだった。


時間は飛んで2006年。
つい一週間ほど前、ハイファイでお客さんに突然話しかけられた。
「あのとき、マーシャルのパンフ作ってましたよね?」


リズム&ペンシルという媒体をやっていて、
印刷物はいくつか作ってきたが、
あのときのパンフは悲しいほどローテクなものだった。
字もあきれるほど小さい。
でも、不思議と愛着がある。


それを面白かったですよと5年振りにひとから言われて、
素直にうれしかった。
昔の忘れ物が見つかった気分になった。


その後、伊藤さんは、海外で暮らすことになったため、
しばらく会っていない。
彼女はマーシャルのファースト・アルバムでは
「ノット・フォー・ミー」が好きだと言っていた。
今、改めてその曲を聴き直してみて、
彼女がいかにマーシャルの音楽の核をとらえていたのか、
それを痛いほど感じた。


だいいち「TWANG!」ほど愛情にあふれたファンジンをぼくは見たことがなくて、
だから悔しくて「リズム&ペンシル」を作ったのだ。(松永)


http://www.hi-fi.gr.jp