O.S.T. Alan Price アラン・プライス / O Lucky Man!

Hi-Fi-Record2006-11-04

 松永クンが自身のブログで書いているように、ハイファイ近くのヤマザキストアが先月末で閉店した。都営住宅の下履き部分が複数の小さな店舗になっていて、その一角で商売をしている店だった。
 店にはいると米の粉の香りがして、奥ではいつも精米器の音が聞こえた。サンドイッチやお弁当やパン、飲み物や御菓子、アイスクリームなんかを売っていた。年配の女性の方が、二人で交代で店番に立っていた。
 いつでもお客さんが入っていて、商売に困っているようには見えなかったけれども、明日閉店するんですと突然に告げられた。



 僕がハイファイを受け継ぐことになった12年ほど前には、公園通りの入り口にあるマルイの裏に、お豆腐屋さんがあった。
 毎日毎日、豆腐を作っては配達していた。午後になると店には、小さなトラックが停まっていた。
 かつて渋谷消防署の並びには小さなパン屋さんがあって、店のおばあちゃんによると、そのお豆腐さんの親戚と言うことだった。店にはパンやおにぎりやお弁当の他に、いつもリンゴやバナナなどのフルーツが置かれ、そのリンゴをひとつ50円、バナナを一本30円くらいで売っていた。界隈のブティックに勤めている女性達がおやつを買いに来ると、こういうものを食べた方が良いのよといって、おばあちゃんは果物を薦めていた。



 おばあちゃんは、自宅のある恵比寿からバスを乗り継いで店に通っていた。ここまで来るだけでね、もう疲れちゃうのよと繰り返し言っていた。渋谷までバスで来て、そしてまたバスを乗り換えるのよ、一区間なんだけれども。私たちは老人パスがあって無料だから、と言うわりには髪の毛を紫に染めているオシャレなおばあちゃんだった。
 その店も閉店した。あとには若者向けのブティックが入った。



 今のハイファイが入っている奥に長いビルの敷地は、元々は自転車屋さんだったそうだ。となりはたばこ屋さんで、そのとなりはね、とかつてのハイファイが入居していた部屋の大家さんに教わったことがある。
 大家さんは戦後の一時期に材木やを営んでいてで、早くにご主人を亡くしたことから、学生向きの下宿屋をはじめようと、木造2階建ての長屋を建てたのだという。ただし事前に約束していた大学からの学生が来てくれなかったとかで、当初はだいぶ苦労したらしい。
 渋谷が若者が遊びに来る街になって、今や超有名になった文化屋雑貨店が店子になり、それが当たると古着屋さんや雑貨屋さんが競って入るようになった。渋谷消防署があったことから、界隈にはファイヤー通りになんて名前までついた。ハイファイは、その古い古い木造長屋の二階に入っていた。



 かつては渋谷にも豆腐屋さんがあり、パン屋さんがあり、お蕎麦屋さんがあり、この町で暮らす人たちのための店があった。
 それが少しずつ姿を消している。今ではデパートの地下街に毎日の夕食の買い物に行くようになったというし、ハイファイの周りにはコンビニばかりが目立つ。



 チャッチャッとリズムを刻むウクレレと、軽くラグタイム風にリズムを刻むピアノを伴奏にして、生まれた街のことを歌う「My Home Town」。ちょっととぼけたようなさりげなさで、アラン・プライスがセピア色の風景を歌っている。
 ホームタウンを歌ううたには、いつもどこか懐かしい香りがする。(大江田信)


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