Kingston Trio, The / トム・ドゥーリー / ルビー色のくちびる

Hi-Fi-Record2006-12-16

 ニュー・クリスティ・ミンストレルスの創始者は、ランディ・スパークス。音楽面を彼が主導し、ジョージ・グリーフとシッド・ギャリスの二人がマネージメントを担った(二人の名字と名前を連ねたシッド・グリーフ名を用いて制作者表記に用いたこともあった)。
 こういう場合は、実演者としてのランディへのサラリーとはまた別に、ランディとジョージとシッドの3人が残りの利益を分配するシステムが設けられている。



 キングストン・トリオの場合は、最初のメンバーだったデイヴ・ガード、ボブ・シェイン、ニック・レイノルズの3人と、マネージャーだったフランク・ワーバーとが利益を分配していた。
 50年代末に大ヒットを得てのち、60年代初頭にグループ歴5年ほどでデイヴ・ガードがトリオを抜けると、後釜にジョン・スチュワートが加わった。ジョンは単にサラリーで雇われたミュージシャンだった。フォークがシンガー・ソングライターへの対応を迫られていた時期だったこともあり、トリオは最適の人材をキャスティングしたように思われるのだが、現実には旧メンバーからの風当たりもあったようだ。



 キングストン・トリオの音楽のそもそもの成り立ちを考えたのは、実はデイヴに違いないと、ボクは思っている。初期トリオの音楽は、カリブ海アメリカ南部のフォーク・ソングをかけあわせたキングストン版ワールド・ミュージックのような出で立ちだった。これをデイヴが発想したのではないかと思う。
 それにしても彼はトリオから抜けるタイミングも絶妙だった。フォークが第一コーナーを目指し始めた頃、シンガー・ソングライターの音楽をレパートリーに組み込むことを余儀なくされ始める頃に、さっさとバンドを抜けてしまった。



 東芝が、東芝EMIなど音楽ソフト事業に出資していた投資を一切引き上げることを決めた、というニュースを聞いた。保有株式をEMIグループに売却するという。これで東芝EMIは100%外資の会社になる。
 東芝EMI(1973年設立)の前は、東芝音楽工業(1960年設立)で、その前は東京芝浦電機(株)音楽事業部がレコードを発売していた。
 このシングルは、その音楽事業部時代のもの。
 電機メーカーがレコード会社を設けることから、日本のレコード会社は歩みを始めた。その一つが、終わりを迎えようとしている。(大江田信)



Hi-Fi Record Store