Bob Gibson ボブ・ギブソン / Funky In The Country
1959年の第一回ニューポート・フォーク・フェスティヴァルでジョーン・バエズをステージに招き上げ、そしてデュエットした人物として語られることが多いボブ・ギブソン 。彼自身の音楽については触れられるところを見ない。残念なことだ。
デビューはシカゴのフォーク・クラブ。ここで修業時代を過ごし、50年代の末には複数のアルバムを発表、スターの座に着いている。
ジョーン・バエズをステージに引き上げデビューに手を貸したと言う話は、間違いない(音源も残っている)のだが、そこには後のフォーク史を解く鍵になる複数の人物が顔を見せている。
1959年のニューポート・フォーク・フェスティヴァルは、同ジャズフェスを手がけていたジョージ・ウェイン(ボストンのライヴ・ハウスのオーナーだった)、そしてジョージのパートナーだったアルバート・グロスマン(後にディランやジャニス・ジョプリン、PP&Mらを手がけて60年代随一のマネージャーとなる)、そしてセオドル・バイケル、オスカー・ブランド、ピート・シーガーの面々で企画運営された。
アルバート・グロスマンは1956年にシカゴのオフ・ビート・ルームで歌っていたボブ・ギブソンを見出して以来のマネージャーで、自身がオーナーだったシカゴのフォーク・クラブ、ゲイト・オブ・ホーンにボブを繰り返し出演させている。
ジョーン・バエズの方も、ボストン界隈では既に名の知れた有名フォーク・シンガーだった。ピート・シーガーが在籍していたグループ、ウィーバースのマネージャーでもあるハロルド・レーヴェンタールが、バエズのマネージャーだった。
ボブ・ギブソンには、ヒット曲はない。50年代末にカーネギー・ホールでのコンサートをいち早く成功させているとはいえ、その後のフォーク史に派手な足跡を残した訳でも無い。しかし彼の音楽に脈打つ若々しく、生き生きと聞き手の心を打つビート感は、衰えることがなかった。
4ビートのウォーキング・ベースを従えて、ジャジィなフォーク・ソングを歌うときの彼は、他の追随を許さない。独特で端正なリズム感が素晴らしく、フォークの世界では珍しいぐらいにリズム・センスの素養が高い人だと思う。それにいつも音楽がつつましく、それがいい。
この"感じ"は、ボブ・ギブソンの音楽からしか得られない。
ときおりふと彼の歌声を聞きたくなる。(大江田信)