Bob Gibson ボブ・ギブソン / Funky In The Country

Hi-Fi-Record2007-02-08

 1959年の第一回ニューポート・フォーク・フェスティヴァルでジョーン・バエズをステージに招き上げ、そしてデュエットした人物として語られることが多いボブ・ギブソン 。彼自身の音楽については触れられるところを見ない。残念なことだ。



 デビューはシカゴのフォーク・クラブ。ここで修業時代を過ごし、50年代の末には複数のアルバムを発表、スターの座に着いている。



 ジョーン・バエズをステージに引き上げデビューに手を貸したと言う話は、間違いない(音源も残っている)のだが、そこには後のフォーク史を解く鍵になる複数の人物が顔を見せている。



 1959年のニューポート・フォーク・フェスティヴァルは、同ジャズフェスを手がけていたジョージ・ウェイン(ボストンのライヴ・ハウスのオーナーだった)、そしてジョージのパートナーだったアルバートグロスマン(後にディランやジャニス・ジョプリン、PP&Mらを手がけて60年代随一のマネージャーとなる)、そしてセオドル・バイケル、オスカー・ブランド、ピート・シーガーの面々で企画運営された。
 アルバートグロスマンは1956年にシカゴのオフ・ビート・ルームで歌っていたボブ・ギブソンを見出して以来のマネージャーで、自身がオーナーだったシカゴのフォーク・クラブ、ゲイト・オブ・ホーンにボブを繰り返し出演させている。
 ジョーン・バエズの方も、ボストン界隈では既に名の知れた有名フォーク・シンガーだった。ピート・シーガーが在籍していたグループ、ウィーバースのマネージャーでもあるハロルド・レーヴェンタールが、バエズのマネージャーだった。



 ボブ・ギブソンには、ヒット曲はない。50年代末にカーネギー・ホールでのコンサートをいち早く成功させているとはいえ、その後のフォーク史に派手な足跡を残した訳でも無い。しかし彼の音楽に脈打つ若々しく、生き生きと聞き手の心を打つビート感は、衰えることがなかった。
 4ビートのウォーキング・ベースを従えて、ジャジィなフォーク・ソングを歌うときの彼は、他の追随を許さない。独特で端正なリズム感が素晴らしく、フォークの世界では珍しいぐらいにリズム・センスの素養が高い人だと思う。それにいつも音楽がつつましく、それがいい。



 この"感じ"は、ボブ・ギブソンの音楽からしか得られない。
 ときおりふと彼の歌声を聞きたくなる。(大江田信)


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