Guy Carawan ガイ・キャラワン / Best Of Guy Carawan

Hi-Fi-Record2007-05-16

 ニューポート・フォーク・フェスティヴァルは、アメリ東海岸のニューポートの街を舞台に、同地でのジャズ・フェスティヴァルのスタッフがフォークもひとつやってみようと1959年に始めたフェスティヴァルだ。途中に中止の年を挟みつつ、60年代の終わり頃まで続き、若い才能や今で言うところのワールド・ミュージックの音楽達に発表の場を与えている。

 1963年だったか、有名な写真の一枚がある。ボブ・ディランジョーン・バエズ、ピーター、ポール&マリー、フリーダム・シンガーズの面々が両手をつなぎながら、ステージの上で歌っている場面だ。
 そのときの歌われていたのは、「We Shall Over Come 」。もとももとは黒人のゴスペルに端を持つ歌で、これが1950年代の半ば頃から人種差別解放を唱える公民権運動の現場などで歌われるようになった。
 このう歌をそうした意図を込めて始唱したフォーク・シンガーの一人が、ガイ・キャラワンである。


 この「We Shall Over Come」、いまも熱心に唄っている一人でもあるピーター、ポール&マリーのひとり、ピーター・ヤーローに、その意図をインタービューしたことがある。
 日本語では「勝利を我らに」と訳されるこの「We Shall Over Come」だが、ピーターのコメントは、日本語の歌詞の意味するところとは、やや違っていたことが印象的だった。
 ピーターは、いつの日にか、人々が様々な抑圧や差別から解放されるときのことを夢想しながら、歌っているのだと述べた。
 勝利を我らの手に勝ち取ろうと訴えかけるものではなくて、自分自身を含めて人々が解放されている姿の夢想を込めて唄っているのだという。
 ちょっとしたショックを受けた。日本語に訳された歌詞を、額面通りに受け入れて「We Shall Over Come」を聞いていたからだ。「勝利の日まで 勝利の日まで 戦い抜くぞ」とこの歌は始まる。来日したジョーン・バエズも、その歌詞で唄っているライヴ音源がある。


 夢想すること。それがこの歌の本意なのだと、ピーターは説いた。その言葉が、ずっと耳に残っている。
 確かにそうかもしれないと、今では思う。そのほうが「Shall」という言葉に即している。
 このアルバムに収められているガイ・キャラワンの「We Shall Over Come」は、静かな口ぶりでぼくを説得する。
 歌うとは夢思い描くことなのだということ、それ以上でもそれ以下でもないものだと問わず語りに語っているような気がする。そんな口ぶりがとてもいい。(大江田信)



Hi-Fi Record Store