Liza Minnelli ライザ・ミネリ / Come Saturday Morning
アメリカのレコード・ジャケットに映る女性たちの多くに、長髪を見かけるように思う。
どうしてなのだろうと気になって、女性の髪型の歴史を扱った文章をいくつか読んでみた。そこにはどんな髪型が流行したのかは書かれていても、文化的な背景には触れておられず、今ひとつ物足りない。
そうしたなか、たわわな長い髪をまとうことが女性らしさの表明であり、それは聖母マリア像を見るまでもなく、キリスト教信仰の社会におけるもの言わぬ暗黙の了解なのだという内容の文章と出会った。
なるほど。でも、ほんとかな。
そこで、高校時代をアメリカのオハイオで過ごした女性に真偽のほどを聞いてみる。彼女が通った学校は、超保守的。宗教的にも厳格な高校だったという。
例えば、男子学生はネクタイ、女性はスカートを着用することが義務づけられていた。「それでもね、夏になれば女性もパンツをはいていいの。でも、お尻のところにポケットがあるのはダメ。それは男性向きのパンツだと言うことなのね。女性はポケット無しのパンツで通うの」。
で、本題の女性の髪型の件。「どう思う?」
「そういう面も、あるかもね。日常生活の中では髪の短い女性は多く見かけれけれども、確かにエンターテイメントの世界では、髪の長い女性が多いかもしれない。でもね、聖書にはね、[女性]については、書かれていないのよ。[男性]については、書かれていても」。
なるほど。
まだまだ真偽のほどはよくわからない。そんな話をしている時に、ふと目が止まったライザ・ミネリのこのアルバム。
見事なショート・カット・ヘアだ。そして少年っぽい仕草でこちらを見つめいてる。
新しい女性を描く音楽の胎動がどこか感じられ始めていた60年代の後半期。女性の新たな意識を作品に込めながらデビューするカーリー・サイモンも、ジョニ・ミッチェルも、でもやはり美しく長い髪をまとっていた。
ライザ・ミネリの本アルバムは、1969年に発表されている。ジャケットに映るポートレートが鮮やかなショート・ヘアというだけで、なにかを発信している気がしてならない。
ちなみに1967年から5年間の間にわたってライザ・ミネリの夫だったピーター・アレンは、ゲイだった。エイズのために1992年に没している。(大江田 信)