Rod McKuen ロッド・マッケン / Seasons In The Sun
国立の小劇場に落語を聞きに行った時のこと。
落語の冒頭のまくらのところで、絶妙のくすぐりを入れる噺家の手練に思わず声を出して笑ってしまった。それも周囲に響く声だった。
と、気づいたのも周囲がクスリとも笑わなかったからだ。
さすが、国立に聴きにくるような落語の強者の聴きては、くすぐりなんかで笑わないのかもしれないと思い返しても時遅し。ツボにはまってしまったのか、笑い症にかかってしまったのか、笑い声を止めることができなかった。
笑っているのは、僕たちだけだった。
帰り道、落語の"通"というものは、そんじょそこらのことでは笑わないのかと思いつつ、心の隅でそれでおもしろいのかなあと思う気持ちを捨てきれなかった。
"お笑"いと称されるこのところの若い芸人の話芸が、楽屋落ちに傾いている。"お笑い"の通でなければわからない笑いのツボも、あるのだろう。
"通"だけがわかる楽しさというのがあることも、わかる。
それにしても、それでいいのかなという思いを捨てきれない。
ロッド・マッケンの歌を聴く。
彼の歌は、誰にでもわかるようなシンプルな歌だ。
わかりやすくて、親しみやすくて、間口が広い。
数多く有るロッド・マッケンのアルバムを聴き進むうちに、少しずつ彼なりの歌づくりの作法にも気づく。
"通"のひとが廻りに集まろうが、芸人やアーチストは自身の目前の"通"に向けて歌を投げかけてはいけないと思う。
もう少し遠くの誰かに向けて、歌を歌うこと。
ロッド・マッケンを聴きながら、そんなことを思う。(大江田信)