John Herald ジョン・ヘラルド / And The John Herald Band

Hi-Fi-Record2009-01-15

 週刊文春の「私の読書日記」の酒井順子の回を読んでいたら、このような一節に行き当たった。
 彼女は本を読むという行為は、けっこう恥ずかしいことなのではないかと、しばしば思うという。そしてこのように添える。「日本人が本にカバーをしがちなのは、何も本を汚したくないがためだけではないだろうし、自分の本棚を他人に見せるのは自分のパンツを他人に見せるくらい恥ずかしい」。


 本を汚したくないからカバーをするという発想を全く持ったことがなかったぼくは、これを読んでちょっとびっくりした。何だって、多くの人は本を汚したくないからカバーをするの? 何を読んでいるのか、通勤の車中で他人に知られたくないからカバーをするんじゃないの?と、いぶかったのだ。


 このところ、書店では書籍にカバーをするのかどうか、必ず尋ねられる。お願いしますと返答するのが、ぼくの常だ。
 自分の好きなものを白日のもとにさらすことは、やっぱり恥ずかしいという気持ちが、そこには潜んでいる。いつの日か自分の好きなものを、好きなこと、好きな本、好きな詩人、好きな映画、好きな女優のことを、あっさりと気負いも無く言えたらどんなに良いだろうと思う。
 このブログ、Voices In Hi-Fiでは、どうしても好きなレコードのことを書くことになる。嫌いだとか、許せないとか、そういうことを書いたってしようが無いし、実は嫌いなことを下品にならずに書くには文章に秘めた芸が必要なのだ。
 大好きなレコードのことを、なるべく好きという言葉を使わずに、書こうと思いながら、ぼくはこのブログを進めてきた。書き始めるときに、いつもそこのところで立ち止まり、どのように表現するか、悩むことになった。

 
 物語歌が多いフォーク・ソングやカントリー・ソングの世界では、主人公の気持ちを汲みつつも、客観的な立場で歌を紡ぐのが良しとされてきた。その伝統からすると、ジョン・ヘラルドの歌は、物語の主人公の心情にやや組みしすぎている。彼の歌には、主人公の目から見える風景が映っている。シンパシーがあるのだろう。
 おそらくそれは、シンガー・ソングライター的な歌への取り組み方なのだと思う。彼は、たぶん音楽のはじめの頃からそうだった。そしてキャリア20年ほどもして発表した78年のこのアルバムでも、その愚直な態度に変わりが無い。(大江田信)


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