Nolan Strong And The Diablos / Fortune Of Hits

Hi-Fi-Record2009-05-05

The Cool School 4 しずかな男 その4


くらい店内にあらためて灯りを点ける。
照らし出された店の中は
かつてあれほどレコードでいっぱいだったのに、
かなり空いたスペースの目立つようになっていた。


この店のすごいところはたくさんあるが、
そのひとつは所狭しと飾られたアーティスト写真だ。


50年代の伝説のドゥーワップ・グループも
とっくに他界したジャズミュージシャンもあって、
なおすごいのはそのすべてに
直筆のサインが入っていることだ。


一枚や二枚ならただの自慢だが、
これだけ揃っていたら
それはもう歴史の領域だ。


しかし店主は
最終的には本当に大切なものを残して
あらかた売り払ってしまうのだと言った。


たぶん、
後生大事にお店の思い出を自分で抱えるよりは
誰かの手にわたることで
こういうレコード屋がかつて存在したんだと
伝えられることを望んでいるのだろう。


この中で一番大切なものは
どれですか、と訊いてみた。


店主は何もためらわずに答えた。


「ジャニスの高校時代の写真だな」


それはお店の奥の方に
目立たない感じで飾られていた。
髪をおとなしくまとめてフレームを見つめる十代のジャニスは
どこから見てもさえない田舎の女子高生だったが、
どっこい、
それこそがこの店を守る菩薩だったわけだ。


今まで一番レコードを買ったミュージシャンは誰? とも訊いてみた。


エルヴィス・コステロ
 そしてB・B・キングだ」


B・B・キングが?
そんなに買うの?


「彼は分け隔てしない。
 興味があるものなら、クラシックでも何でも買うよ」


店主がこの店で働き始めたのは14歳のとき。
彼はこの街で生まれ育ち、今もこの街に住んでいる。
すでに営業を始めていたこの店に
頼み込んでアルバイトで雇ってもらったのだ。
それが50年代の後半の話。


「そのときはまだ店の広さは今の3分の1だった」


10年ほど働いて
オーナーのリタイアを契機に店の権利を買い取った。
それから中古レコードの販売を始めた。
理由は単純で、
まだまわりでは誰もやっていなかったから。


ロックやジャズに
今ほど中古としての価値が認められていなかった時代の
彼は間違いなく先駆者のひとりだった。


隣りの店が空くたびに
間借りを増やしていったら
いつの間にか、店は3倍になっていた。


そして店主は
1967年のサマー・オブ・ラヴを、
70年代、80年代、90年代、2000年代を
カウンターからお客の移り変わりを眺めながら
しずかにしずかに体験していった。


最後に訊いた。
我ながらひねりのない質問だと思ったけれど。


これほど長く店を続けられた秘訣はなんだと思いますか?


「何でも売ることだね。
 選り好みしないことだ。
 何でも売っていれば何でも売れる。
 ロックが好きなお客だってジャズを買うことがあるし、
 クラシックを探しにきていても違うレコードに興味を持つかもしれない」


可能性を自分で限定してしまわないことだ。


最後の1行には
正確な発言ではなく、
ぼくの感じ方も入っている。


そしてもうひとつ
空耳がした。


店がレコードを選ぶのではない。
レコードが店を選ぶんだ。


ものしずかに語り終えた店主に
ありがとうと述べて、
ぼくたちは店を出た。


もうこの店に
レコードを買いにくることはないのかと思い、
車に乗る前に一度うしろを振り返った。


街は一段と、まっくらになっていた。


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ローラ・ニーロ
愛するソウル・ナンバーを
フィラデルフィアでレコーディングしたアルバム
「ゴナ・テイク・ア・ミラクル」には
モータウンの有名曲と
71年当時の彼女がいかにソウル・マニアであったかを示す
あまり有名でない
しかし忘れられない名曲が入っている。


その中でも
きわめつけの一曲が
デトロイトドゥーワップ・グループ、
ノーラン・ストロング&ザ・ディアブロスの「ザ・ウィンド」。


まるで彼女がオリジナルで書きそうなメロディのこの曲は
実はオリジナルにほとんど忠実だ(中盤の語りは原曲のみ)。


初めて原曲を聴いたときは
目まいがするほど感動した。


そしてここ2、3日ほどは
この曲だけ聴いていたいような気分だった。(松永良平


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