Peter Seeger ピート・シーガー / Rainbow Race

Hi-Fi-Record2009-06-03

 昨日のブログ、【The Cool School 16 長いドライブ その2】で松永クンが触れていた老婦人。彼女と交わしたちょっとした会話を思い出した。


 若い頃のアイドルはね、ピート・シーガーだったのよ。60年代の始めのころ、ここからヒッチハイクをしてニューポートのフォーク・フェスティヴァルに行った。そりゃ、遠いわよ。何日かかかった。そして彼のコンサートを見て、感激したわね。


 彼女は、遠くを見つめるような顔をした。口元には少女の面影が宿った。40年以上も前のこと、彼女はまだ血気盛んな女性だったのだろう。


 高校を出てね、地元の会社に勤めて、すぐに組合に入った。両親からも勧められたし、仲間からも招かれた。フォーク・ソングを歌う集会をしたり、楽しかったわよ。


 ぼくが彼女と出会ったのは、まだブッシュが大統領だった時期だ。ブッシュは、どうなの?と聴くと、彼女はこう答えた。


 ワシントンに、カウボーイがいるのよね。


 アメリカのフォーク・ソングは、左翼的な組合活動と密接に結びついて来た側面がある。同時に黒人の人権を勝ちとろうとする公民権運動と結びついて来た側面もある。
 炭坑労働者の辛苦に満ち満ちた生活が歌われた歌、ピケットラインに立つ者がどんなスト破りにも動じないと歌う歌、いつの日か勝利の日を迎えるだろうとする歌。
 時にはゴスペルとして教会で生まれた歌が、意を転じて運動の中で歌われることもあった。


 フォークソングと左翼運動とは、切ってもきれない。この二つを結びつけたのが、ウディ・ガスリーであり、ピート・シーガーだった。
 俗にフォークの発祥地と呼ばれるニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジ界隈をドキュメントした本「フォーク・シティ」には、50年末のヴィレッジには左翼運動家とビートニクと民謡愛好家、それを見に来る観光客がいたとする一節が有る。日本語で言うところのモダン・フォークには、そうした影は一切無い。
 そろそろ90歳にならんとするピート・シーガーは、50年代からずっと長きにわたって、その種の歌を歌って来た。ベトナム戦争の無意味を告発する歌、ハドソン川の浄化を求める歌、よりよき明日を夢見る歌などなど。そしていつも歌声は、健やかだ。歌を歌う気持ちの根っこが、健やかなのだろう。


 ぼくはレコード店のレジに座る彼女に、意気軒昂たるアメリカの古き良き良心を見たような気がして、なんだか少し楽しくなった。こういう人に、ピート・シーガーは愛されて来たんだと思ったのだった。(大江田信)


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