大久保由希 / ミラー&マウスピース

Hi-Fi-Record2009-06-09

The Cool School 18 長いドライブ その4


車は走る。
豪雨の中を
今来た方へ。


目指すは忘れものをした
あのレコード屋


インテリ老婦人が
夫の集めた膨大なレコードを
静かに売り続けているあの店。


去り際に「また来なくちゃ」と言っていた大江田さんも、
まさかこんなにすぐに戻ることになるとは
夢にも思っていなかっただろう。


一時は目を血走らせて
悲壮な態度で車を飛ばしていた弟も
雨雲を抜けきると少し落ち着いてきたようだ。
しかし、車内の空気は
いまだ重い。


ハイウェイを降り、
ようやく店のところまで戻り着いたとき、
当然のようにあたりはすっかり
夜の闇につつまれていた。


防犯のためにわずかに点いた室内の灯りを頼りに
戸口から中を覗き込む。
トートバッグがあるのかどうかは
ここからではわからない。


「自宅に行ってみましょうか……」


われわれは店の裏手にある自宅にまわった。


さっき入ったのは裏口からで
表玄関がどこにあるのかはわからなかったが、
裏口は旦那さんとテレビのある居間に直結していたから、
もし彼女が起きているとしたら
裏からのアプローチが的確だと思えた。


呼び鈴はなさそうだ。
誰かが裏口をノックしなくてはならない……。


ごくり。
緊張が走る。
レコード屋を営む老夫婦とは言え、
アメリカは銃社会だ。
夜にいきなりドアを叩く狼藉者が
威嚇を受けたとしても文句は言えない。


ドアをノックするのは誰だ?
ええい、ままよ!


ドンドンドンドン、
ドンドンドンドン。


意を決して
力強くドアをノックした。
そして「怪しい者ではないですよ」と証明するために
大きな声で身元をただそうとした。


「ウィーアー・スリー・ガイズ・フロム・トーキョー!
 プリーズ・オープン・ザ・ドア!」


もっとちゃんとした言い方があるじゃないか、とは
冷静になってから思うことで
このときは必死だった。


ごめんください。
開けてください。
撃たないでください。
東京から来た
さっきまでいた3人のレコード屋です。
悪いやつじゃありません。
ナイスガイです。


そんな気持ちをこめたつもりだった。


がちゃ。


ドアがようやく開いて
パジャマ姿の彼女が顔を出した。
「あらまあ」


店を開けてもらったら
バッグはレジのすぐ脇に置いてけぼりになっていた。
よかったよかった、
ありがとうございます、
また来ますと礼をして
スリー・ガイズ・フロム・トーキョーは去って行った。


そこからの車内は
打って変わって明るい。


不意に弟が思い出し笑いをしながら言った。
「それにしても、あのとき兄貴が言った
 “スリー・ガイズ”はちょっとおかしくないか?」


大江田さんも相づちを打つ。
「そうだよね。
 “ハイ、ガイズ”って挨拶はするけど、
 自分で自分のことは“ガイ”とは言わないよね」


「これから兄貴は“ガイ”と名乗れ!
 おまえはガイだ! ガイ!」


さんざんおちょくられてまいったし、
もともとお店に戻る羽目になった原因は弟にもあるのに、
不思議と腹は立たなかった。
まるで徹夜明けのような興奮状態と爆笑の中、
車は粛々とドライブを続けた。


真夜中、
サービスエリアに立ち寄り、
ちょうど昼どきの日本に電話をかけた。
電話の向こうでは留守番部隊が
妙にハイテンションな買付部隊を不思議がっていたに違いない。


結局、モーテルには午前3時過ぎに着いたと記憶する。
予約の無断キャンセルと判断されてもおかしくない時間なのに
受付のおねえさんは
とびきりにこやかにぼくたちを出迎えてくれた。


シャワーも浴びずに
疲れきった体をベッドにどしゃっと預ける。
グッドナイト、
いやそれとも
グッドモーニング。
長いドライブはこうして明け方に終わった。


その後、彼女の店には
2回行った。
次に行ったときに
旦那さんが亡くなったことを知らされ、
やがてお店もひっそりとなくなっていた。


イエローページからもお店の情報は消えてしまった。
ぼくの心には
消しきれないまま今もその店は残っているけど。(この項おわり)


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前回仕入れてから
好評のうちに売り切れになっていた
もともと女性ドラマーで
ここではギター片手にシンガーソングライターをきめこむ
大久保由希さんのCD「ミラー&マウスピース」が再入荷しました。


ハイファイ松永がコメントを書いています。
コメントカードでは一部略しているので
せっかくなので全文を。


大久保由希の歌うのは穴の空いたブルース。
でも、その空洞には
少し湿気があって温度があって人が住んでいる。


どの時代のどの国か知らないけれど
場末の酒場にふらっと女が現れて
ギターをじゃらじゃらと鳴らしながら
ちょっと気になるブルースをうたいだした。
あなたは誰?と声をかけようとしたら、もうそこにはいない。
何年経っても
その名前もわからない女を思い出すことがあるとしたら、
それは大久保由希のような女だったと思いたい。
ニューオリンズのいかれたギタリストスヌークス・イーグリンのことを
アイドルのようにうたう女だよ、
きっと音楽バカな女だぜと
うわさをしながらずっと探しているだろう。


松永良平


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