The Millard Thomas Group / Harry Belafonte Presents The Millard

Hi-Fi-Record2009-07-01

 当方の娘が一夏をホームスティでお世話になったお宅に、数年後に家族揃ってお邪魔した。
 オーストラリアのブリスベーンからシドニーに向かって南下し、ちょうどこの二都市の中間くらい。人口が数百人という小さな集落に、彼らの自宅があった。
 顔中にひげを蓄え、ユーモアたっぷりに話す巨漢のご主人は地元の教育委員会に勤め、時に夫を厳しく叱責する奥様は高校の教師。とてもいいコンビだった。
 

 彼らの友人夫婦も混ざって、家のテラスで食事を囲んだ。
 目前には、大きな川がとうとうと流れている。川岸から家の庭までは、人の背程のサトウキビが並ぶ畑になっていた。川まで100メートルも無いように見える。この間の嵐の時には、すぐそこまで水が来たんだよと主人が言う。


 彼らは進歩的な考えの持ち主達のようで、オーストラリアはアジアの一員なの、アジアの人々と共に歩んで行くことを忘れてはならないのよ、と繰り返し唱えていた。
 そうした考えを持っているからなのかどうか、夫妻はタイやインドネシアが好きで、よく旅行に行くのだという。そのときもインドネシアで買って来たという、竹から作られたパーカッションと笛を用いた素朴な音色の音楽が、流れていた。


 その響きを聴きながらご主人が、僕に向かって「イージー・リスニング!」と声をかける。気楽で気持ち良くて、リラックスできる音楽なんだよといったような意味あいだった。
 なるほどこうした音楽の接し方を、「イージー・リスニング」と呼ぶ言い方があるのかと、ぼくはちょっと目が見開かれた思いになった。「イージー」という言葉に、より積極的な前向きの意味を感じ取った。「イージー」という言葉から受け取るものが、もう少し広いものとなった気がしたのだ。


 そのときに感じた「イージー・リスニング」という言葉に見合う音楽には、その後なかなか出会っていない。
 ハワイアンが近いのだろうか、いやこんな感じなのかなと思いついたのが、ミラード・トーマス・グループのアルバムだ。
 自分たちの体に染み込んでいる音楽を、気品を持って演奏している。気持ちのいい風が吹いてくる音楽。(大江田 信)


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