Perez Prado ペレス・プラード / Big Hits By Prado

Hi-Fi-Record2009-07-13

The Cool School 32 はじめてのかいつけ その1


ぼくの生まれて初めての買付は
突然に決まった。


前の年の秋、
当時のスタッフ全員が出かける用事があるという理由で
急遽、ただの店番として
ハイファイのカウンターに腰掛けた。


まだお店は
ファイヤー通りの長屋風の建物の2階にあり、
階段をあがると
板がぎゅうぎゅうと音を立てていた。


それから
いくつかの縁があって
翌年の初めから昼間限定のスタッフとして働くことになった。
2001年のことだ。


正式に働き始めたばかりだというのに
大江田さんから「買付に行く気はないか?」と誘われた。
まだ2月にはなっていなかった。


それもまた、いろいろな理由があっての選択だったのが
当の指名された本人が
それを唐突かつ無謀と感じていたのも本当。


ドラフト会議で
関係者ノーマークの選手の名前がいきなり読み上げられるのって
こういう感じなんだろう。


「いいから、いいから」と
大江田さんのおおきな体に押し込まれるようにして
ぼくは西海岸行きの飛行機に乗った。


2月の初め、
日本では真冬だったが、
これから行く街は太平洋の暖流の影響もあって
日本より暖かいくらいだと言うことだった。


それでも心配して
結構多めに冬支度をして行ったのではなかったか。


飛行機が最初に着陸した都市で入国審査を済ませた。
「9・11」以前の入国は
今では考えられないほど、ほのぼのとしたものだった。


それからもう一回飛行機を乗り継いだ。
さっきまで乗っていたジャンボジェットから
今度はウソだろと言いたくなるほどの小さな飛行機に。
かろうじてプロペラ機ではなかったと記憶している。


ほどなく目的の街に着くと、
まず向かった先はレンタカーの駐車場。
そうなのだ。
これからの足は
車なのだ。


もちろん、
それまでも個人的に渡米した経験はあった。
学生時代に一度。
ローリング・ストーンズを見に行った。
それから十年後の無職時代に一度。
NRBQの30周年記念ライヴを見に行った。


それは二度ともニューヨークで
季節は秋だった。
ニューヨークでは
歩いて、地下鉄に乗り、ときどきタクシーで贅沢をした。


考えてみれば
ぼくはアメリカで
まだタクシー以外の車にまともに乗ったことがない。


そんな未経験者のぼくに対して
太平洋を越える飛行機に乗る前に大江田さんは
ばさばさと地図の束を渡していたのだ。


「よく見ておいて。
 これがきみの役目だから」


レンタカーに乗り込む段になって
やっとその意味がわかった。
というか、その役目の難しさが
急に目の前に迫ってきて狼狽した。
大江田さんはぼくに、
このアメリカのまともな道などほとんど知らないこのぼくに、
地図を見て道をナビゲートしたまえと言っていたのだ。


おろおろとしている助手席のぼくに
大江田さんはこともなげに言い放った。


「じゃあ出発するよ。
 地図には道の名前が全部書いてあるし。
 モーテルは空港の近くだから、まず行こう」


ちょちょちょちょちょおーっと!
と叫ぶ間も与えず、
車はぼくの初めての買付と
初めてのナビ体験へと滑り出した。(この項つづく)


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好評をいただいているトム・アルドリーノ・セレクション。


本日の新着はこちらのペレス・プラード


マンボ王プラードの
キーボード奏者としてのユニークさを
ぼくもトムに教えてもらった者のひとり。


さらにあるとき、
プラードがライヴで激しくピアノを弾きまくる映像を見せてもらい
仰天したことがある。


プラードは親日家で
日本でも何度も公演を行っているが、
彼のピアノやオルガンが凄かったという話はなかなか聞かない。


いつでも
どこでも
「ウッ」ばかりじゃ
ちょっとさびしい。


あるいは
それはちゃんと目撃され
ちゃんと語られていたのに、
要点だけを書き残せばいいとする歴史作りのせいで
忘れ去られてしまっているだけなのかもしれないけど。(松永良平


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