Dean Friedman / Well Well Said The Rocking Chair

Hi-Fi-Record2009-09-16

 9月12日のブログの“ニューヨーク経験豊富な松永クン”というぼくの記述に、松永クンからの異論があるとのことなので読返しているうちに、もうひとつ、やや軽率な表現を見つけた。


 ということでお詫びかたがた訂正をする。
 それは"寝ていたはずの松永クンが、大丈夫ですか?と心配げな声をかけた"という一節だ。これは正しくない。心底ぞっとしたぼくの運転を、横に座る松永クンは、だいじょうぶかなあという思いで見ていたはずだからだ。
 彼は運転手がハンドルを握っている横では、まず寝ない。寝まいとする。彼の名誉のために言い添えたい。
 そして間違いなくこの時、彼は寝ていなかった。だって僕らはレス・ポールのマンハッタンでのライヴを見て、興奮しながらホテルに戻る帰り道での出来事なのだから。


 車を運転しない彼は、運転手にあれこれ言わない。
 ブレーキが遅いとか、前方を不注意だったとか、もう少しゆっくりカーブを曲がれとか、日本だったら助手席に座る妻に散々に言われる僕も、だからこそアメリカでは気の行くままに運転出来る。気ままにハンドルを握ってしまうと、ちょっとした狼狽や自責の気持ちに陥ることがある。隣席の松永クンに、これを知られまいとする。恥ずかしいからだ。
 このときも、彼はどきどきしていたに違いない。今さら謝ってもしょうがないのだが、いやはや、あの時はゴメンナサイと言いたい気持ちになって来た。


 ニューヨーカー気取りで運転するには、多少の強気が必要なのだとわかるには、丸一日かかった。
 どこの橋だったか、マンハッタンからブルックリンに向かう橋を渡る際、ぼくらの車は右折を余儀なくされた。橋に向かって長蛇の渋滞を続ける車列に、右折して割り込む。そうして橋を渡る。そうしなければ、モーテルに帰り着けない。そういう道筋だった。
 その時のことだ、何回、青信号を待っても右折が出来ない。ものすごい数の車が交通法規を無視して割り込んで来て、結局のところぼくは猛獣の中に放り出された心優しきひ弱な子羊になってしまう。後ろの車がクラクションを鳴らしたかと思うと、ぼくを無視して先に出て行った。


 これはいかんと奮起した。窓をあけて手を出したり「馬鹿野郎」と声を出しながら、正面信号は赤のなか無理矢理に右折をした。
 信号機の動きとはまた別のルール、それぞれのドライヴァーの中で通じ合う荒っぽいルールのようなものが、ニューヨークで車を動かしているとぼくは感じた。こうしてつかみとったぼくのニューヨーク・ドライヴのキーワードは、「強気」だった。
 その強気な気分の残っている僕に冷や水をぶっかけたのが、深夜のハイファイで横を通り抜けた山の様に大きなトラックだったのだ。


 今では少しは懐かしい気分でニューヨークの雑踏を思い返す。
 たとえばこんなアルバムを聴いている時だ。
 冒頭には街角のデリで食事をしながら店内を見渡す「The Deli Song」が収められる。
 街歩きが好きな向きには、たまらない唄だとも思う。(大江田信)



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