Peter, Paul And Mary / The Best Of Peter, Paul And Mary

Hi-Fi-Record2009-09-17

The Cool School 62 グリニッチ・ヴィレッジ1989 その3


ホテルの部屋、
ベッドの脇に無造作に立てかけられたレコード群、
その数ざっと100枚ぐらいか。


2週間のニューヨーク滞在で
あの店この店あのフリマで買い集めた数々のレコード。
欲しかったあの一枚も
よせばいいのに的な一枚もひっくるめて
ニューヨークでレコードを買ったのだといううれしさが
濃厚に漂うセレクションになっていた。


どうにかして
これを持って帰らなくてはならない。


日本を出るときに担いでいたのは
大きめのバックパックのみ。
当然、この中にはいくらも入らない。


帰国日は迫り、
ふところもさびしかった。


そのとき
前の週に出かけたフリマで
旅行トランクを結構売っていたなと思い当たった。


善は急げで
早速週末のフリマに出向き
あたりを物色。
お、あったあったありましたよ。


トランクを買うときの条件は
丈夫で持ち運びがしやすいということ。
しかし、このとき、
ぼくの頭は旅行ぼけを起こしていた。


「これだ!」と選んだのは
フーテンの寅さんの持っている手提げかばんを大きくしたような
南米風味のトランク。
大きさは十分だがキャスターもなく
おまけに結構年季が入っている。


「いくらですか?」
「7ドルよ」


値段もバッチリ。
ぼくの頭の中では
ニューヨークのフリマで品の良いトランクを入手したことで
自分の旅行者としてのランクが
一段上がったくらいの上機嫌だった。


部屋に戻って
早速レコードを詰め込んだ。
横に2段で重ねていって、
隙き間にはシングル盤も差し込んだ。
ふたを締めると多少ふくれているようにも見えるけど
まあ、大丈夫だろ。


いざ、取っ手をぎゅっと握りしめ右手でトランクを
持ち上げ……、
持ち……、
持ち上がりません!


当たり前の話だ。
そのトランクはよゆうで30キロを超えていた。


さて、
それからどうなったか。


どういう奇跡か、
若さの勝利か、
ぼくは日本に帰り着いた。


その後、
当時の彼女にふられ、
クレジットカードの使い過ぎでもうれつな催促を受け、
差し歯にしていた前歯をなくし、
大学の留年が決定した。


しかし、
あのときぼくがあんなにバカじゃなかったとしたら
今ここにいないと考えると
1989年のグリニッチ・ヴィレッジに捧げるものは感謝しかない。


あのとき買ったレコードの多くも
フリマで見つけたトランクも
今は手元にないのに
鮮やかに思い出せる。


何よりも
あれほど楽しくレコードを買った経験は
ほかにはそうそうないと今でも言い切れるんだから。(この項おわり)


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本来なら
今日のブログは大江田さんが書くべきだ。


曜日の当番がそうだからというのではなく、
今日がそういう日だということだ。


だが
今日はぼくが代わりに書くことになった。


ピーター、ポール&マリーの
マリー・トラヴァースが亡くなった。
享年72歳。
白血病での長い患いを経ての往生だったそうだ。


彼女が白血病だと公表されてからも
PP&Mはときどき東海岸を中心に短いツアーを行っていた。
大江田さんは買付の合間に
どこかの街のコンサートと日程がひょっとして一緒になることを
心から望んでいたけれど、
買付の日程をわざわざツアーに合わせるようなことは決してしなかった。


それは
愛し方の矜持と言うべきものだったと思う。


マリー・トラヴァースさんの
ご冥福をお祈りします。(松永良平


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