Barrence Whitfield バレンス・ホイットフィールド / Dig Yourself

Hi-Fi-Record2009-09-22

The Cool School 64 バレンス その1


アメリカという国の音楽のおもしろさは
ローカルなシーンの裾野の広さにある。


“自主制作”だなんて宣言して
肩肘を張って立ち向かわなくても
街のスタジオでレコードが作れてしまう気楽さが
あの国の音楽シーンが
どれほどメジャー・カンパニーの強欲ぶりに翻弄されても
根っこのところで豊かさを失わない大きな要因になっていると思う。


アメリカで
その辺の街のひとに声かけて
「昔、レコード作ってませんでした?」って訊いたら
絶対、だれかが「あるよ!」って答えるだろうという意味の文章を
以前に安田謙一さんが書かれていた。


その言葉には
すごくリアリティがあるのだ。


だれも知らない市井のひとが
だれも知らないレコードを作っていたというパターンもあれば、
あの名盤を作っていたひとに
偶然に出会うというケースも決して少なくない。


プロとして音楽で生計を立てるという人生は尊いものだが
だれもがそんな人生を送れるわけではない。
むしろ日常はなんらかの仕事をしていて
週末や空き時間にミュージシャンをしているというパターンの方が
はるかに多いのだ。


バレンスに会ったのは
東海岸のある街だった。


横に広いカウンターの中で
てっぷりと太った体に
丸い眼鏡をかけたかわいらしい顔をした黒人のおっちゃんが
ふんふんと鼻唄を歌いながら楽しそうに働いていた。


「よお、
 なんかわかんないことあったら
 おれに訊きなよ。
 値段がついてないレコードも
 おれがつけてやるぜえ」


ぼくも大江田さんも前に一度この店に来たことがあり
本当の店主のことは知っていた。


「あんな黒人のおっちゃん、
 いましたっけ?」
「さあ? バイトかな?」


そのうち、
ぼくが抜いた一枚のレコードをもうひとりの店員が目にすると
おっちゃんに何やら呼びかけている。


「おい、バレンス!」


え? 何て言った?
バレンス?
それってひょっとして、このバレンス……?


ぼくが買付の山の上に置いていたレコードは
東海岸のいかれた黒人ロックンローラー
バレンス・ホイットフィールドの「ディグ・ユアセルフ」だったのだ。


そして
向こうからゆっさゆっさと巨体を揺らしながらやって来るのは……。


「あ……、バレンス……」


「やあどうも、
 おれのレコード買ってくれんの?
 わざわざ日本から来て」


人懐っこい笑みを浮かべながら手を差し出して熱いハグ。


「おれ、ときどきこの店で働いてんのよ。
 家が近所なんでね」


そう言って
バレンスは親指を立てた右手を前に突き出した。


レコードでの聴くバレンスの印象は
たがのはずれた狂乱の黒人ロッカーだった。
80年代版太っちょエスケリータというかね……。


でも、こうも思っていた。
バカみたいなふりしてるけど
きっとこいつはユーモアのわかるやつだって。
まさかレコード屋の店員として会うなんて夢にも思ってなかったけど。


同じ店員同士として
ものすごく親しみを持ってしまったこともあって、
この日はしこたまレコードを買った。


会計になって
値段のわからないレコードはおれにまかせろと
バレンスが言っていたので
値段のついてないレコードの値付けをお願いした。


バレンスは「がってん!」と息巻くと
レコードの山をめくり始めた。


そして
バレンスはこう言ったのだ。


「うーん、ほとんどわからん!」


ぼくたちはバレンスのことが
ますます大好きになってしまった。
バレンスの話、もうちょっと続けよう。(この項つづく)


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店で働くバレンスのことが
見た目からはわからなかったのは
この名盤のジャケのせいでもある。


ほら、
絶対草むらみたいなところに隠れてて
「ワーオ」とか「ウギャー」って叫びながら出てくるようなもんだと思ってたから……。(松永良平


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