Anita Kerr Singers アニタ・カー・シンガーズ / A Christmas Story

Hi-Fi-Record2009-12-04

The Cool School 95 このおれがまさか


初めて訪れた店に
思いがけず素敵なレコードがいっぱいあった。
ロックやジャズはもちろん、
イージーリスニングやヴォーカルの品揃えが豊富。
フォークやローカルなレコードにも目配りが行き届いている。


良い店だが
治安のあまりよくない場所にあるという
うわさだけは聞いていた。
確かに辺りは陽が暮れてから歩き回るのは遠慮したいゲットーな感じだ。
だがこれほど充実した店なら、
陽が暮れるまでいたい気持ちにさせられた。


興奮してレコードを抜いていたら
背の高い白人の店主があいさつにやって来た。


なんだ、おまえら、
イージーまで買うのか、
奇特なやつらだなー、でもうれしいよ。
少々荒っぽさの交じった気さくさで
歓迎をしてくれた。


そのうち
地下の在庫も見ろよと彼は言いだした。
階段を降りると
薄暗い地下室に
整然とレコードが並べられていた。


「ここからここはロック、
 こっちはジャズ、
 こっちはイージーとか、その他だ。
 何でも抜いていいぞ
 値段はあとでおれが付けるから」


忙しい店主はそう言い残して階段を上がっていった。


しばらく物色していくと
作業机と思しき台の近くにある
レアなアルバムがずらりと並んだセクションに突き当たった。


お店の目玉用を置いてるのかな?
でも、何でも抜いていいって言ってたよな。


そう思いながらレコードの背文字を追ってゆくと
レアなアルバムの並びに
ハイファイでもおなじみのアーティストを発見した。


アニタ・カーだ。
いっぱいある。
デッカ時代の名作「ヴォイシズ・イン・ハイファイ」もあるぞ。


このときの買付には
大江田さんは同行していなかったので、
こりゃ大江田さんが喜ぶぞとばかり
まとめて引っこ抜いた。


小一時間ほど経って
店主にそろそろ見終わったよと声をかけた。


ぼくの抜いたレコードの山を
彼は値段ごとに仕分けはじめた。
ふんふん、ほおほおと
こちらの趣味嗜好を興味深く観察しながらの作業で
とても楽しそうに見えた。


すると突然、
その動きがぴくっと止まったのだ。


彼はぼくの方を振り返り
こう言った。


「このアニタ・カーはどこから抜いた?」


そこだよと作業机の横を指差した。
あちゃちゃーと彼は顔をしかめつつ苦笑いした。


「ごめん、
 言うの忘れてたけど
 そこはおれのプライベート・コレクションなんだ。
 だからこの辺のレコードは勘弁してくれな」


へえ!
レアなアルバムが多いからひょっとしてとは思っていたけど
アニタ・カーの作品がそんな場所に収まっているのは
とても珍しいことだ。


ぼくの疑問を感じとったのか
彼は頭を掻きながら言った。


「いやー、
 おれもさ、
 50に近くなってきたら激しいのがあんまり聴けなくなってきてさ、
 若いころはバカにしてたアニタ・カーが
 今は最高なんだよ」


隠れて付き合ってた恋人の存在を告白するような
しおらしい口ぶり。


今日は来てないんだけど
実はうちのオーナーもアニタ・カーの大ファンなんだよと告げると
「本当か!」と彼は心底驚いた顔をしていた。


「いやー、まさかこのおれがさあ、
 アニタ・カーを聴くようになるなんてさあ」


よほど恥ずかしかったのだろうか。
しばらくの間
彼は誰に答えるでもなく
ひとりでぶつぶつと繰り返していた。


ゲットーみたいな街の中で
アニタ・カーを一輪のひな菊のように大事に守っている大の男。
そんなロマンはわるくない。


ぼくはこの店がもっと大好きになった。(この項おわり)


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せっかくなんで
店主のことを思い出しながら
今日はアニタ・カーのクリスマス・レコードでも聴こう。(松永良平


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