Tim Buckley ティム・バックレー / Goodbye And Hello

Hi-Fi-Record2009-12-15

The Cool School 100 さよならも言わずに


きつい時差ぼけにやられて
レコード屋の前の駐車場に車を停めたまま
ぼくたちは昼間から眠りこけてしまった。


眠ってしまったのは
肉体的な限界もあったけれど、
どちらかと言うと
この店ならぼくたちを温かく迎えてくれるという
安らぎにも似た気のゆるみがあったからだろう。


北の街で
女の子ふたりが営む
素晴らしいレコード屋


ひょっとしてアメリカ中で一番好きな店。


その店のことは
この連載のごく早い時期、ここに書いている。
若いふたりの娘が
頑固なジャズおやじの店を受け継いで
自分たちの好奇心を素直に反映させていった結果出来上がった
ちょっとした奇跡みたいなレコード屋のこと。


彼女たちのいたずらっぽい笑顔が見たくて
この店を訪れるのはぼくたちだけじゃない。
常連さんでにぎわう店内でレコードを扱いながら
彼女たちはいつもこう言っていた。


「お店が忙しいから
 メールとかインターネットとかやってるヒマなんかないの!」


今となっては
それはレコード屋にとって
世界で一番うれしい悲鳴ってやつだろう。


もうちょっと車の中で休んだら
今年も来たよって、彼女たちにあいさつをしなくちゃ。


そんなことを
むにゅむにゅと寝ぼけて考えているときだった。
車の外から窓をトントンと叩く音がする。


誰だ?
不意打ちをくらって妙な感じで目を覚ましたぼくの視線の先には
いぶかしげな顔をした見慣れない女性がいた。
窓を開けると
「あなたたち、ここで何してんの?」
と質問してきた。


何故そんなことを訊かれなくちゃいけないのか
よく事情が飲み込めないままに
「いや、おれたちこの店の客なんだ。よく来てるんだ」
そう答えた。


すると女性の返答は意外なものだった。


「あたしはこの店のオーナーだよ。
 こんなとこに車停めっぱなしだと困るんだけど」


は?
何をこのひとは言ってるの?
この店をやってるのは、あのふたり娘に決まってるじゃない。
あ、でもひょっとして
この建物自体を管理している大家さんなのかな?


とにかく中に行けばあの娘たちがいて
事情を話してくれるはずだから。
そう思って眠気で重たい体を動かして外に出た。


ドアをいつものように開け、
階段をあがる。
開けっ放しの入り口から店に入った。


その瞬間、
電気が走った。


店が変わった。


俯瞰で見える店の中は以前と同じだ。
だが、何かが確実に違う。
簡単に言うと全体が整理整頓された感じ。
だが、ぼくの本能はもっと決定的な事実を告げていた。
知らない音楽をおもしろがり
あやしげなものを楽しむあのふたりの空気とおしゃべりの声が
きれいさっぱり消え失せているのだ。


左手にあるカウンターに目をやった。
そこにはさっきぼくを起こした女性が不機嫌そうに座っていた。
その手前には彼女の話し相手をしているのであろう
これまた見知らぬ女性。
カウンターの脇には
なんとベビーベッドが据え付けてあり、
赤ん坊がすやすやと眠っていた。
赤ちゃんを起こさないようにするためか
BGMのレコードも流れていなかった。


「あの……」
おそるおそる女性に話しかけた。
「あなたたちは留守番をしているのかな。
 この店は、ほら、あなたたちじゃない女性がふたりでやっていたよね?」


不機嫌女が質問にあっさりと答えてくれた。


「ああ、わたしと亭主がこの店を買ったのよ」
「それはいつ?」
「つい3ヶ月ほど前かしら」
「前のオーナーたちはどうしたの?」
「知らないわ。売りたいって案内を見て買ったのよ」
「今どこにいる?」
「それもわからない。友だちじゃないし」


右手に持っていたポータブルプレイヤーを
思わず落っことしそうになるほど動揺をしていた。


ばかばかばかばかばかばかばかばかばかばかばかばか。
なんてことをしたんだ。
きみたちが作っていたのは、ただのレコード屋じゃない。
この街の文化であり、
あやしい過去を
おもしろい未来につなぐという偉大な創作行為だったんだ。
それを事情もろくに知らない、
友だちでもないやつに売り払ってしまうなんて!


座り込んで泣き出したいくらいだったが、
仕事でここに来てるんだとこらえて
買付を開始した。
心臓はずっとドキドキと鳴りっぱなしだった。


店内には
売り渡しをしたとは言え
数ヶ月前まで彼女たちがキャッキャ言いながら品出しをしていたであろう
おもしろいレコードがまだまだいくつか残っていた。
そこから立ち上るあの懐かしい笑い声に耳を澄ますように
丹念に彼女たちの匂いのするレコードを拾い上げていった。


見ているだけで楽しかった壁のレコードの数々も、
新しい店主の趣味なのか
平凡な名盤たちに徐々に取って替わられていた。
もう数ヶ月もすれば
入れ物は一緒でも中身はまったく別の店になってしまうのは間違いない。


それでも
ぼくは何とか間に合った方なのかもしれない。
こうやって彼女たちの魂を受け継いでいるのかもしれない。


何だかお骨を拾ってるみたいだと思ったら
また悲しくなってきた。


あんなに仲良くなったのに、
さよならも言わずにどっかに行ってしまうなんて!


結局、
ぼくは彼女たちの「さよなら」が聞けなかったことが
くやしかったのだ。


だからぼくの方からは
とてもたくさんのレコードと
たくさんの音楽の楽しみ方を教えてくれた彼女たちに
きちんとさよならを言いたい。


さよなら。
ありがとう。
ジュリーとオラリー。(この項おわり)


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今回で
この連載「The Cool School」は100回目を迎えました。


ずいぶん前から
100回目にはこの話を書くつもりでいました。
大好きなレコード屋さんとお別れをしたことを
書き留めておきたかったのでした。


それがこの連載の良い区切りにもなるだろうとも思っていました。


ところが
まだいくつか書きたいことが残っているようです。
それに一度買付に行くと
またレコードをめぐる新しい出会いがその度にあって、
ぼくの心中をざわざわとかきたてるのです。


というわけで
もうすこし続けてみることにします。
お別れの話が最後というのも
自分のキャラに似合わないような気がします。


ティム・バックレーのセカンド・アルバムに
今日は助けてもらおうと思います。(松永良平


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