近田 春夫 / 星くず兄弟の伝説

Hi-Fi-Record2010-01-28

 先日、久しぶりに一人で蕎麦屋に入った。


 午後の3時過ぎ、赤坂の駅に向かう道すがらの蕎麦屋が休憩を取っていた。午後の時間を休まず営業する神田連雀町のまつやを、池波正太郎さんが好んでいた事を思ったら、ふと裏道の蕎麦屋を思い出した。


 随分と久しぶりだと思いながら小道を右に曲がると、店は開いていた。何組かの客が雑談をしながらビールを飲み、蕎麦をたぐっていた。女性の独り客もいた。


 ビールの小瓶と卵やきを頼んだ。卵やきを突っついてビールを飲んでから、もりとお酒を頼んだ。薬味皿にねぎと一緒に添えられたわさびを、付け汁に溶かし込む事を好まない。わさびを少しつまみ取って、それを蕎麦に乗せて口に入れる。その姿を見てか、店のやや歳いった女性が、薬味皿をもう一つ、そっと僕の前に置いた。


 食事を終えた独り客の女性が、そろそろ花粉のシーズンだと、店の女性たちと話している。「もう、ぐすぐすしているの。これが夜になる頃には、疲れちゃって」と彼女が言うと、「やたらと目の周りを洗う訳に行かないものねえ。化粧が落ちちゃうから」と店の若い方の女性が答える。女性ならではの花粉シーズンのやり過ごし方について、話が弾んでいた。
 店のたたずまい、客の扱い、客と店の馴染み具合など、昔のまんまだなと思った。
 変わったことがあるとすると、蕎麦がよく締まっていたことだ。茹で上げた蕎麦が、昔より冷たい水で洗われている。水の扱いが変わったのだろうか。


 昔のまんまの想いを今いちど味わいたくて、久しぶりのレコードを引っ張りだして聴くと、なんだか違う、そんなことがこのところ特によくある。
 ああ、聴くこちらの何かが無くなってしまったのだろうかと、ふと淋しい。音楽を聞き過ぎてもいけない、ということなのか。


 昔のままの想いと共に聴きたいレコードが、ハイファイの店頭にあった。
 針を落とす事が、怖いような、恐ろしいような。
 しばらくの間、手に取ってジャケットを眺めている。(大江田 信)


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