The Three Suns スリー・サンズ / 1949-1957

Hi-Fi-Record2010-02-16

ラジオの話の続き。


 もう30年近くも前、北青山に事務所を持つとあるグラフィック・デザイナー氏のもとを訪ねた時のことだ。
  木立の間を夕暮れが迫ってくる窓際で打ち合わせをしていると、AMラジオの音色が静かに響いて来る。事務所ではずっとFEN、現在のAFNが流れていた。
 ひとしきり打ち合わせを終えたのち、さっきから事務所に流れる音楽がラジオからと気づいた僕は、彼に質問した。


 彼は、このラジオの音が好きなのだと言う。良い音である必要は無い、なんだかもこもこしたAMラジオの音が好きで、この音で聴く音楽が好きなのだとの答えだった。


 1970年代も後半、音楽ならばFM放送という風潮が当たり前だった時代なので、ぼくはちょっと驚いた。決して懐古的な作風を売り物にしているわけでもなく、クールでスマートでタッチのデザインが彼の仕事だったし、人付き合いが決して上手く無く、気難しい感じで突き放した波長の持ち主だった。デザインの先端に位置する感性と、音楽の、というか、音の好みととが一致している訳ではないのだなと、妙に納得した気分になった。
 だからだろう、彼が答えている時に感じた不思議な気持ちを忘れられずにいる。


 アメリカでAMラジオ放送が始まったのは、1920年代の初頭。当初は独立局が少しづつ設立れていたラジオの世界で、ネットワークという発想が生まれた時に、そうした要請に応えるべく誕生したのがLPレコードだ。LPは、市販されることを目的に端を発したのではなく、同一時間帯に各地で同一放送を行なうために開発されたメディアである。
 今でのコトバで言えば、メモリーのようなものだ。モバイルできるROM。


 ラジオは様々に音楽を扱って来たが、早くから始まったのがライヴ放送だった。
 スタジオ・ライヴもあれば、ライブ会場に機器を設置して行なったものもある。


 その一つの例がスリー・サンズのホテルからのライブ放送だ。
 当初、1939年にはフィラデルフィアのアデルフイア・ホテルで、翌40年からはニューヨークのホテル・ピカデリーのサーカス・ラウンジに定期的に出演し、同時にホテルからのライヴ放送が行われた。
 ラジオ局にしてみれば番組ソフトが手に入り、ホテルにしてみれば知名度の向上が期待出来て、そしてバンドにしてみれば出演ギャラをもらえて、上手く行けば飛躍的な知名度の向上が期待出来る。
 タイアップの基本形のようなものだ。


 50年代末以降のスリー・サンズはメンバーのリーダー格、アル・ネヴィンズが主導するスタジオ・ワークの音楽に変容する。ホテル出演当時のスリー・サンズの音楽を聴くことが出来るアルバムというとこれになる。(大江田信)


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