Paul Mauriat ポール・モーリア / More Mauriat

Hi-Fi-Record2010-03-18

 ポップス・オーケストラの歴史の発端というか、始まり方に興味があるのだが、残念ながらそうしたことを記した書物に出会った事が無い。ジャズにせよ、ロックにせよ、カントリーにせよ、そりなりに研究が進んでいて、日本語で読める本も数多くあるのだが。


 数多くのその種のレコードを触って来て、最近になって考えるところがある。


 その一つ。
 ポップス・オーケストラには、3つの出自があるのではないか、ということだ。

 ブラスバンド
 ストリングス・オーケストラ
 ラウンジ・コンボ

 この3つ。


 ブラスバンドといえば、グレン・ミラーを代表とするダンス・バンド的なもの。自らクラブを経営していたエドムンド・ロスや、ホテルのレギュラー・バンドとして活動したザビア・クガートなどラテン系のバンドも、この種のタイプだろうと思う。ドイツのウェルナー・ミューラーのオーケストラも、ベルト・ケンプフェルトのオーケストラもこれに該当する。活動の場がダンス・ホールからゆくゆくはラジオへと移行する
 古くはスーザに始まるマーチ・バンドに、このスタイルのルーツがあるのかもしれない。


 ストリングス・オーケストラのタイプといえば、アメリカではアンドレ・コステラネッツ、イギリスのマントヴァーニやフランク・チャックスフィールド、フランスのカラヴェリ、フランク・プウルセルなどが率いたオケ。彼らの活動の場は、ラジオだった。


 ラウンジ・コンボ・タイプといえば、ピアノのカーメン・キャヴァレロやフェランテとタイシャー、そしてスリー・サンズなどを思い出す。それこそホテルのカクテル・ラウンジを活動の場とした。巡業も熱心に行っている。


 こうしたインストルメンタルのコンボやオーケストラは、本格的にレコーディングを始めるのが1950年代。アメリカでは40年代のSPの時代から始まっている。レコードから流れるサウンドを聴いていると、音楽のこうした出自と活動の場がリンクして見えてくるような気がする。


 ところで、ついこのあいだからポール・モーリアの伝記を読み始めた。
 彼はマルセイユのホテルでラウンジ・コンボを経てのち、パリに出てストリングス・オーケストラを率いるようになった。
 60年代に入ると、レコーディングにも熱心になった。レコードの時代が到来した幸運を、巧みに自らに引き寄せたオーケストラ主宰者の代表かもしれない。ミネアポリスのとあるラジオDJが「恋は水色」を積極的にプレイした事で、アメリカで大ヒットを記録する。


 「ヨーロッパとアメリカの双方のヒットを盛り込むあたりに、モーリアが意識していたマーケットが見え隠れします」と紹介するコメントが、確かにその通りだった事を再確認した。(大江田信)
 

Hi-Fi Record Store