Denny Zeitlin デニー・ザイトリン / Cathexis

Hi-Fi-Record2010-03-24

 「このミステリーがすごい!」第8回大賞を受賞した中山七里著「さよならドビュッシー」を読んだ。
 ピアニストを目指す若き女子高校生が主人公。ミステリーとして筋立てを読み解く楽しみはもちろんなのだが、随所に書き込まれている音楽論が、ぼくにはとても興味深かった。


 ショパンベートーヴェン、ドビッシーらのピアノ作品について、作品が表現する事柄、演奏する際の技法、作品の時代背景、作家のプロフィールなどが描かれる。これが痛快なほどに面白い。分かりやすい。加えてこの旋律はこのように弾くべきといった内容がポンポンと飛び出し、ピアニストがどのようなことを考えながら演奏をしているのか、なにを目標に日々の練習を積み重ねるのか、具体的な事柄がくり返し述べられる。明日のピアニストを目指す女子高校生が考えつくような内容とは思えない箇所も多々あるのだが、なにより音楽を内側から具体的に描き出して行く方法に新しさを感じた。通り一遍の印象批評的な音楽評論より、よっぽど面白い。
 もしかすると音楽に興味が薄い読者だったら、読み進めるのが難しいかもしれない。それほどに音楽論に割かれた紙幅が多かった。


 指の力だけに頼らず腕の全体を用いてピアノを弾くことが肝要なのだとの助言が、彼女にレッスンを与える現役ピアニストの言葉として本文の中程に挟まれる。
 これが小説の最後の最後のクライマックスの伏線となる。
 主人公はこの言葉を思い出しながら、クラシック・ピアニストとしては許されない自分の演奏姿勢に、しかしこれでいいのだと胸の内で納得するのだが、ここを読みながらボクはグールドの演奏姿勢を思った。
 背筋をピンと伸ばしているとは、全く言いがたい。だらしなく見える。力強さにかける。かつてあれで良くピアノが弾けるものだなどと叩かれたグールドの演奏時の姿勢への、作者による擁護というか、礼賛なのかもしれないとボクは読んだ。


 それにしても中山七里のピアノ論、いったいどこまで本当なのだろうか。まさか作者の虚言ではあるまいと思いつつ、友人のピアニストにぜひとも読んでもらいたいと思った。そして感想を聞いてみたいと思う。
 ピアニストの胸の内の真実の一端が知れるかもしれない。


 ジャズ・ピアニストとして知られるデニー・ザイトリンは、本業は精神科医だったそうだ。タイトルの"”CATHEXIS"は精神分析の用語というが、彼のピアノは決してメタフィジカルな風ではない。心のうちをおずおずと覗き込むような様は、無い。
 草食系と言うよりは、知的肉体型。グビグビと酒を飲むかのように文武両道で前進する爽快さが、気持ちいい。(大江田 信)


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