Cathy Fink キャシィ・フィンク / Doggone My Time

Hi-Fi-Record2010-04-10

 彼女がバンジョー1本で歌う「I'm So Losome I Could Cry」。数多くのシンガーがとりあげるカントリーのクラシックだ。


 「I'm So Lonesome I Could Cry」の邦題は、「泣きたい程の淋しさだ」。面白いタイトルだなと思う。日本人に馴染み深い七五調の日本語でありながら、いまひとつリズムが悪く落着きの無い散文のよう。そのちょっとした違和感が、タイトルを記憶させるのに奏功している。



 アメリカに出向くようになる前は、この歌の「Lonesome = 淋しい」という言葉を、情緒的な気分の表現と言うか、センチメンタルな気分くらいの受け取り方で聴いていたが、繰り返し広大な荒野を貫く高速道路の走る経験を重ねてくると、ちょっと感じかたが変わって来た。広い草原にポツン、ポツンと灯りが灯っている夜の田舎道を走っていると、「Lonesome = 淋しい」という言葉が、より身体的な表現と言うか、体の傷みと同じようなもののように感じるようになる。センチメンタルなんて甘いものじゃない。大声を上げようが、泣きわめこうが、誰もこちらを振り向いてくれやしない。その声すらもどこまで届いているのかわからない、そんな広大な荒野に一人ぼっち。呆然とする程の淋しさ。
 21世紀になった今でさえ、どんな都会でも車で小一時間も郊外に走れば、そこにはむき出しになり手つかずのままの地肌を見せる大地がある。車窓の風景を気持ちのいい広がりだと思いつつ、同時に果てしなく淋しいなあと感じる。



 キャシィ・フィンクが歌う「泣きたい程の淋しさだ」では、淋しさという感情があっけらかんと、さらっと表現されている、と思う。
 淋しいことは、しょうがないことの一つなのだとでも言うかのように。淋しいという感情は、諦念などではなくて、たぶん当たり前の事実なのだとでもつぶやいているかのように、僕には聞こえてくる。(大江田信)




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