Tom Rush トム・ラッシュ / Blues Songs Ballds

Hi-Fi-Record2010-04-21

 少し前のこのブログで、買い付け先のアメリカで、フォークのコーナーが面白く活気づいている店は、店全体に時代のトレンドと響き合う新味があると書いた。ふと思ったことをそのまま書いたのだが、しばらくしてのち、もしかするとこれは言い得ているのかもしれないと思った。
 60年代半ばから始まるシンガー・ソングライターのその後を追いかけていると、それは今なお続いている水脈であり、そこには絶えずフォークやルーツ・ミュージックからの支流が流れ込んでいる。今日のオルタナシンガー・ソングライターのシーンを見ていても、改めてよく解る。そうした現状と響き合う感性を持った店主の店では、フォークのコーナーが旧態然としていない。数枚見るうちに、わかる。おやっと思うレコードがある。



 古い店、新しい店、そのいずれからもどう取り扱っていいのか、未だ対応しかねているのが、トム・ラッシュだ。
 ごく最初期の自主盤には、その希少性から高価な値付がされるが、だんだん時代をくだると、同時代のフォーク・アイテムの通例とも言うべき値段に収まって行く。フォーク時代のディランのように、オリジナル盤に収録の楽曲が、セカンド・プレス以降差し替えられたなどといったドラマがあるわけでもなく、神話性にも欠けるのだろう。ジョーン・バエズやP,P&Mほどに好セールスを上げてもいないので、頻繁に出会うことはないものの、その取り扱いに手をこまねいている様が見て取れる。



 それもこれも、彼が自作曲に才がないと思われているからに違いない。
 ソロ・シンガーのフォーク・アルバムの評価基準は、今やシンガー・ソングライターにおけるそれと変わりがなくなってしまった。いつのまにか、そうすり替わってしまった。だからだろう、1964年リリースなどという、今回取り上げるアルバムの発表時期において、優れた自作曲が見いだせないフォーク・シンガーは、後年の聞き手にとって興味の対象から外されてしまうことになる。



 それはいかにも不幸なことだと思うのは、彼のこのアルバムが素晴らしい内容を持っているからだ。
 ここで通奏低音のように一貫して響くリズムの感覚、都会的でヒップなセンス、若さにまかさせた危うさなどの表現は、他に類を見いだすことが容易ではないはずだ。ルーツミュージックに独自の切り込みを見せるアルバムを、優れた自作曲が無いからと言う理由だけで聞かずに済ませるのは、いかにも惜しい。
 フォーク・シンガーには、フォーク・シンガーとしての価値基準があるはずだ。恐らくそれはシンガー・ソングライターの場合とは、また違ったものだったはずだし、違うべきだろうとも思う。


 別の言い方をすれば、仮にもしもトム・ラッシュが、カントリー・ブルースのシンガーという場所に身を置いてしまえば、オリジナル・ソングを書いたかどうか、まず問われることは無かったのだ。
 うまく言葉にならないこの感じを、同時代の他のフォーク・シンガーを聞きつつ、もう少し追いかけてみたいと思う。(大江田信)