Jim Kweskin ジム・クエスキン / Side By Side

Hi-Fi-Record2010-04-22

 評価基準がシンガー・ソングライターのそれとすり替わってしまうことで、フォーク・シンガーが真っ当な評価を得られない場合があることを、昨日のブログでトム・ラッシュの例をもって記した。


 フォーク・シンガーの掉尾、そしてシンガー・ソングライターの端緒である60年代中期という作品発表時期も、ルーツミュージックへのアプローチが自身の音楽をあぶり出すという手法が、自作に才が無いこととイコールと思われてしまう不運に輪をかけている。


 ひるがえって、ジム・クエスキンの例を考える。
 彼には、自作曲は無い。ジャグバンド時代も、その後のソロ時代も一貫して、古い時代のジャズやブルースやノヴェルティ・ソングを取り上げ、軽妙に演奏する。オリジナルと聞き比べてみると、ブラス・タイプのジャズがアコースティックのアンサンブルに置き換えられていたり、驚かされることが多い。


 それは、過去の遺産をダイナミックに串刺しにして調理をし直す手品のような技とも見える。楽曲の単なるアレンジというよりも、歴史の検証であり、これだけアルバムが積み重なると、結果としてそれらが自らの立ち位置を明らかにすることにもなってくる。自分探しなどと言う言葉を使うと大げさだが、いずれにしても音楽の軸足はクエスキンの側にあり、彼の視線に同化しながらあたかも今を生きるようにして、我々は過去の音楽を聴く。
 クエスキンの音楽を聴いていると、このあたりのギミックに何となく気づいて行くこととなるのだろう、だからからなのか自作曲が無いことがことさら問われない。


 このあたりのことは、もう少し突っ込んで考えてみても良いのではないかと思う。


 今にして気づく素晴らしい作品がこちら。(大江田信)



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