The Platters プラターズ / All Time Movie Hits
片桐ユズルさんの「歌は、詩でもないし、音楽でもない。だから面白い」というコメントについて、もう少し考える。
邦楽に「歌のない歌謡曲」というジャンルがある。
いわゆる歌謡曲をインストルメンタルにしたもので、その昔、喫茶店で流れていたり、パチンコ屋で流れていたりした。ちょっとでも音楽好きの耳からは、どことなく下に見られるというか、わざわざお金を出して買うには値しないものと思われていた和製インストルメンタル。カラオケというものが、ここまで流行する前の昭和の時代のことだ。
その種の音楽をまとめて聞く機会があった。仕事の用向きだった。相当数を聞いた。
聞いているうちにわかったのは、ダメな演奏ものもあるけれども、素晴らしくいいものもあるということ。なにより素晴らしいと思ったのが、演歌、歌謡曲のギタリストだった木村好夫さんの演奏だった。
音が厳しい。その音は、そうでなければならないものとして、そこにあった。迷いが無い。木村好夫さんが演奏する「黄昏のビギン」は、最高だと思った。
歌詞を知っている日本語の歌をインストルメンタルで聞く楽しみということを、考えた。
既に歌詞を知っているメロディのインストルメンタルと、まったく歌詞を知らないメロディのインストルメンタルでは、聞こえてくるものが違うのではないかと思う。
言い換えれば、歌詞を知っているメロディをインストルメンタルで聞くということは、聞くものの歌詞への渇望の度合いを高める作用があるのではないか。歌詞を多少とも覚えていて、それがサビあたまの歌詞だったりして、そのほかは忘れてしまっている曲のメロディを器楽演奏で聴くと、たまらずぐっときてしまうのではないか。
歌詞への渇望と書いしまったのだが、これが正しい表現かどうかはわからない。
いつも歌詞を歌う歌手の声で聞き慣れた作品を、インストルメンタルで聞いたときに感じる、あの微妙にさわやかな感じとは、いったい何なのだろうと思う。
そういえば、今日の出勤時に耳に突っ込んだラジオ用のイヤホンから流れてきたフランク・プウルセル・グランド・オーケストラの「オンリー・ユー」に、ひどく心が動かされた。
もしかするとオリジナルの歌詞付きのプラターズ版よりも、こちらの方が好きかもしれない。
こんなにイカした「「雨に唄えば」を歌っている彼らには、申し訳ないけれども。(大江田信)
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