James Taylor ジェームス・テイラー / James Taylor
昨年の夏に放送されたNHK教育「知るを楽しむ:グレン・グールド」を、とても興味深く見た。全編を自宅のVTRレコーダーに収録していた友人から、DVDにコピーしてもらって、また最初から繰り返し見た。
いくつもの示唆的な言葉があったけれども、なかでも坂本龍一が、バッハのピアノ曲の演奏について、まるで作曲家が弾いているみたいだと思ったと述べるコメントが実に印象的だった。
こちらのテレビ放送も毎週見ている。
4月の放送は、バッハの特集だった。
どこかでグールドの話が出てくるかなと思っていたら、演奏する際の姿勢について、坂本龍一が述べる機会が設けられていた。グールドがピアノを左手で演奏しながら、右手で指揮をしている映像を紹介しつつ、楽しそうに解説が加えられた。
続いて、バッハがアルペジオと指定している箇所の弾き方について触れた。通例では演奏家はアルペジオの箇所を上昇する音程を用いて弾くところ、グールドは下降しているという。グールドなりの譜面の解釈なのだとのことだ。
もしもバッハが生きていてグールドの演奏を聴いたら、自分の譜面から"面白いことを見つけるねえ"と言うかもしれないと、ここでも実に楽しそうな表情で坂本龍一がコメントを添えていた。
クラシック音楽においては、作曲家と演奏家という分業が、成立している。それを僕たちは、当たり前のこととして受け止めている。だから、"まるで作曲家による演奏のようだ"とする比喩が成り立つ。
ポピュラー音学の世界では、ジャズやロックがシンガー・ソングライターの時代を迎えると、作家が演奏するのが当たり前のようになる。考えてみればブルースは、そもそも自作自演から始まった音楽だ。
今では作者が演奏するオリジナルと、後年のアーチストによるカバーを対照するといったことが、一つの楽しみとして扱われている。作者の演奏には、"オリジナル"として暗黙の敬意が払われている。
ふとした機会に、「ラヴェル・プレイズ・ラヴェル」というアルバムで、フランスの作曲家、ラヴェルの自作自演のピアノ演奏を聴いた。
たどたどしいというのが最初の印象だが、わざとこのように過剰な情感を入れずに弾いているとする声もある。比類の無い美しさだと評する声もある。
クラシックにおいては作家自身の演奏は、あくまでも参考程度として聞かれているのだろう。それもそのはずで、演奏家としての訓練を日々重ねている専門家に、作曲家が演奏面で勝つのはなかなか容易ではない。それにしてもラヴェルの演奏には、ふとした一瞬に、はっとさせられる輝きがあった。
こちらも作者自演版。
つい最近発表されたキャロル・キングと共演したL.A.のトルバドールのライヴDVDでは、「Something In The Way She Moves」を気に入ったピーター・アッシャーがビートルズのメンバーに聞かせて、それでアップルからのリリースが決まったんだとエピソードを語っていた。
ジェームス・テイラーという人の生きてきた歴史を知ると、このアルバムを聞く楽しみやほろ苦さが、ぐんと増してくる。(大江田信)