King Streak And The 4 Princes / Calypso Festiva
バナナ・ボート・ソングについてもう少し。
こちらのブログで、こう記した。
"おもしろいことにこの曲、1955年から58年ごろにかけて、コーラス、インスト、フォークタイプのコーラスなど、様々なスタイルの演奏によって、アメリカのシングル・チャートの上位に繰り返し入っている。"
上記の内容を、具体的なデータをもって記すとこのようになる。
アーチスト 最高位
ハリー・ベラフォンテ 5位
スタン・フリーバーグ 25位
タリアーズ 4位
フォンテーン・シスターズ 13位
スティーヴ・ローレンス 18位
サラ・ヴォーン 19位
これがすべて1957年の出来事だ。
こんなことってあり得るの?と思わず聞き返したいくらいに、様々なバージョンが登場し、しかもチャートの上位まで上昇している。
どうしてこうした事態が生まれたのか?
かつて買い付けでフロリダに行ったときのこと、カリブ音楽がフロリダで演奏されて来た痕跡を示す多数のレコードと出会った。
その時に購入した、カリプソを代表するアーチストのひとつ、タルボット・ブラザースのレコードを聴いてみると、彼らが演奏する「マリアンヌ」は、イージー・ライダースが1957年に全米4位のヒットとしたバージョンと酷似していた。瓜二つだった。
どちらが先と断定するはそれなりに調べて見る必要があるだろうが、長らくカリプソの活動歴があるタルボット・ブラザースが、新参のイージー・ライダースのカリプソ・ヒットを完コピしたとは、ちょっと考えにくい。地方のローカルヒットだった作品が、レコード会社間の音源の売り買いによりメジャーからリリースされることによって、全米でヒットした例は多くある。それとよく似て、フロリダ界隈でヒットししていた歌を、イージー・ライダースという中央で大規模な露出を可能とするアーチストのカバーによって大ヒットにつなげたのが「マリアンヌ」なのかもしれないと、想像したのだった。
そしてもうひとつ、フロリダを訪れて気づいたことは、相当数のカリブ地域、あるいは南米からの移民が暮らしていることだった。フロリダは、まるでラテン系文化の飛び地なのだった。夏のビーチを水着姿で歩く女性たちは、誰もが浅黒い肌をしていた。
それ以来、アメリカはラテン音楽の飛び地なのだというのが、ボクのUS盤ラテンを聞くときの、立ち位置になった。
にしてもバナナ・ボート・ソングのヒットは、アメリカ国内でジャマイカ系移民が支持をしたと思しき数字を遥かに超えている。
そうなるとこのヒットの背景は、多くの白人達の南方憧憬ということになるのだろうか。(大江田信)
試聴はこちらから。