Asleep At The Wheel / Wheelin And Dealin’

Hi-Fi-Record2010-06-30

 先日、ウェルナー・ミュラーについて語る会の終演後、観客の皆さんが帰られた後にAgainの店主、石川さんとスチール・ギターの話になった。
 ハワイから持ち込まれたスチール・ギターがどうしてあれほどにカントリー・ミュージックに用いられるようになり、また電気化される楽器になったのかということをテーマに、少し語り合った。



 スチールが電気楽器になるのは、大きな音を出す必要に迫られたからで、それはおそらくカントリー・ミュージックの演奏される場が、それまでの小規模なバーやラウンジなどから、大規模なダンスホールやクラブへと場所を移すことに伴って生じたのではないかと思うと、私見を述べた。スチール・ギターは、小型で運搬可能にして、サスティンの効いたハーモニーを持続させることが可能なコード楽器である。巡業に際して運搬が可能であることも、用途に敵う楽器として広まる一因だったのではないかと思う。



 1930年代に入ると、コンボ・スタイルだったジャズが、オーケストラ・タイプの演奏スタイルになっていく。代表的なところでは、1930年代にデューク・エリントンがニューヨークのコットン・クラブで大編成によるジャズをバリバリ演奏して、多くの観客が踊りを楽しんだ。そうした状況と同種のことがらが、カントリーが演奏される場においても起きたのではないかと想像される。音楽がはっきりとしたビジネスになり始め、それならばと、より大きな規模の場所に聴衆を引き込もうと考える商才が現れ始めたのではないか。
 


 この設問の全体に答えをだすのは、そう簡単なことではないので、それは今後の課題とするとして、石川さんとおしゃべりをしながら思ったのは、レコードを聴いているだけでは見えてこない音楽の現場があるということだ。
 1950年代の半ば過ぎ、アメリカのレコード産業が大いなる成長を始めるまでは、レコードは文字通り音楽を記録するものだった。録音スタジオは、音楽を記録する場所だった。音楽を創造する場所ではなく、実験する場所でもなく、ミーティングをする場所でもなかった。
 どこでどのように産み出され、深められた音楽をスタジオが記録したのかという点を考えないと、たぶん音楽の現場は見えてこない。



  ということで、ダンスホール・カントリーをひとつ。
 ボブ・ウィルスの音楽をこよなく愛するアスリープ・アット・ザ・ホィールの初期作品。
 これは踊れるカントリーです。(大江田信)
 
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