Frank Kumagai 熊谷フランク勝志 / Authentic Folk Songs Of Japan
午前中のテレビ・バラエティをぼんやり眺めながら、ゲスト出演していた神田瀧夢の話を聞いていた。過酷なアメリカのエンターテインメント業界で生き抜き、彼は日本人として初めてアメリカのテレビでゴールデンタイムに自分の番組を持ったのだという。
スタンダップ・コメディを経て、テレビの番組を持ったという。これはスゴい。彼の英語は、よほど本物なのだろう。
その彼が日本に帰国してすることが、成田空港で食べる立ち食いの麺なのだそうだ。うどんか、そば。これが、旨いという。必ず食べるのだと、軽く力説している。
なんだ、それって松永クンと同じだと思った。成田空港内の立ち食いは、そんなに数多くある訳ではないはずだから、もしかすると同じ店で食べているのかもしれない。
この立ち食いのうどん。僕は食べない。食べたくないのかと問われれば、食べたい。美味しそうに食べている松永クンの姿を、羨ましく思うこともある。
でも二人揃って並んでうどんを食べる、それも毎回の買付けの後にとなると、年に4回も5回ものこととなる。そのなんだか恥ずかしい感じに耐えられなくて、つい、いいよ、食べないと言いながら、僕は車を預けている駐車場に電話をかけに行ったり、手洗いに行ったりする。
そういえばアメリカで買付けをしている最中に、どうしても日本食が食べたいと思う気持ちが、起きなくなってきた。最初の頃は、食べたくて切迫した気持ちになったものだが、今ではそれほどではない。体にいいだろうと思うから、スーパーで豆腐や寿司などの日本の食材を調達することはあるけれども、食べられなければ、食べられなくてもしょうがない。
レコードを買うということに生きるか死ぬかの勢いて焦っていた頃は、少し疲れると必ずと言っていい程に日本食が食べたくなった。
気持ちの変化が「日本」の求め方に、違いを生んでいるのかもしれない。
それにしても1999年からアメリカに活動舞台を移して映画やテレビなどに出演しながら、ハリウッドのコメディシアターでライブパフォーマンスも行っているという神田瀧夢と、ハイファイの松永クンの帰国直後の行動が同じだなんて。
熊谷フランク勝志。彼は「日本」とどんな距離を取っていたのだろうと、ふと思った。(大江田信)
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