Percy Faith パーシー・フェイス / Li’l Abner

Hi-Fi-Record2010-09-08

 「夜のストレンジャー」という曲がある。フランク・シナトラの1966年の全米1位のヒット。シナトラに11年ぶりに全米1位の栄誉を授けてくれた曲だ。作曲はドイツのプロデューサーでオーケストラ主宰者のベルト・ケンプフェルト。


 調べものをしているうちに、これは映画「ダイヤモンド作戦」の主題歌という記述に出会った。映画そのものはB級だったためにヒットしなかったものの、シナトラの主題歌のほうは大ヒットとなったと書いている記述もある。
 ムズっと来た。なんだか変だなと思う。


 60年代のこの時点で、なぜシナトラがB級映画の主題歌などを歌う必要があるのか?
 仮に歌ったとして、なぜ作曲家がベルト・ケンプフェルトなのか。これまでにシナトラの周辺に一度も名前があがったことのない作曲家の作品を、なぜシナトラ側のスタッフが指名したのか。
 

 こういう疑問を、ほおって置けないもので、早速、調べてみることにした。
 その結果、わかったことはというと、映画「ダイヤモンド作戦」においてはメロディがインストルメンタルで演奏されたということ。すでに全米1位のヒット曲が2曲あるベルト・ケンプフェルトのメロディということで、シナトラの制作サイドに音楽出版社から売り込みがあり、ならばと英語詞を発注した。他の歌手も歌う予定があることを知った制作スタッフは、あわててレコーディングした。ここで初めて「夜のストレンジャー」のタイトルが付いた。
 その後はシングルは快調にヒットへの道を歩んだ。


 すなわちシナトラは映画のサントラでは歌っていなかったし、作曲家のベルト・ケンプフェルトもシナトラ側の要請による起用ではない。
 正しく言えば映画「ダイヤモンド作戦」の主題「曲」のメロディに、後々に歌詞を付けて歌われたものが「夜のストレンジャー」ということになる。


 今ではつい映画のサントラと思い込まれているモノの、実は違うという音源は50年代から60年代にかけて、相当にある。フォーエイシスの「慕情」もパーシー・フェイスの「夏の日の恋」も、フィルムシンフォニック・オーケストラの「太陽がいっぱい」にしても、オリジナルサウンド・トラックではない。映画の公開後に発表されている音源だ。
 オリジナル・サウンドトラックのレコード化が難しいことは、恐らく承知されていたのだろうと思う。だからなのか、映画の公開後に主題曲を演奏するシングルが、レコード会社各社から相当数リリースされていたのが、この時代だ。多くの共作もあるし、そのすべてがチャートインしているケースもある。
 映画のサントラの多くが、レコードの発売を視野に入れて作られていなかったのだろう。
 

 言い換えれば50年代から60年代にかけて、レコード会社にとって映画はビジネス・チャンスだったに違いない。そしておそらくミュージカルも同様だったのだろうと思う。
 パーシー・フェイスは、それを相当にわかっていた人なのではないかというのが、このところのちょっと気になりはじめた課題のひとつだ。彼には映画公開、あるいはミュージカルの上演開始直後にリリースされたアルバムが複数ある。これは他のポップス・オーケストラ主宰者の場合と、大きく異なっている。


 ミュージカル「リル・アブナー」。こちらもミュージカルの初演直前にスコアを入手して制作したアルバムということだ。(大江田信)



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