Dennis Yost / Three Biographical Features On The Classic One
つい先日、Everything Is Everything の「Witchi Tai To」と「Oooh Baby」のカプリング・シングルがウェッブショップに紹介されたと思ったら、すぐにお買い上げをいただいた。「Witchi Tai To」は、ハイファイのコメントにあったようにサックス奏者のジム・ペッパーがオリジナル。
これで思い出したのがクラシックスIVの「スプーキー」。
こちらもサックスのマイク・シャープが67年1月に発表、ビルボード・チャートの57位まで上昇した。
このインストルメンタル作品に新たに歌詞を付け、デニス・ヨストの歌を全面的にフィーチャーしてクラシックスIVのシングルとして発表したところ、1967年12月に全米3位の大ヒットとなった。
ちなみにマイク・シャープもデニス・ヨストもジョージア州アトランタのビル・ロウリー・プロダクションの所属で、もちろん作品の権利もビル・ロウリーの音楽出版社が持っている。
ビル・ロウリーはカントリー・ミュージックのラジオDJを皮切りに、テレビショーのホストを努めた後、1950年代から音楽著作権ビジネスをスタートした人物だ。主要なレコード会社がニューヨーク、シカゴ、ロス、ナッシュヴィルにしか無かった時代から、地元アトランタを本拠に、界隈のアーチストの楽曲や完パケ音源をレコード会社に売り込んでは、ヒットさせていた。
代表的なところでは、ジーン・ヴィンセントの「ビー・バップ・ア・ルーラ」(56年)、タブ・ハンターの「ヤング・ラヴ」(57年)、ジョー・サウスの「孤独の影」(68年)、リン・アンダーソンの「ローズ・ガーデン」(71年)などで、このほかレイ・スティーブンス、ブレンダ・リー、ビリー・ジョー・ロイヤル、トミー・ロウなど、南部出身のメジャー・アーチストを多く擁していた。
このところアメリカの音楽出版社ビジネスに興味がある。
ついレコード会社とアーチストとしてアメリカのヒット音楽の流れを見てしまうけれども、もしかするともう一つの歴史の鍵を握っていたのは音楽出版社ではないかと思うからでもある。
ことにSSWの時代になってのアルバムには、実は音楽出版社とレコード会社がタッグを組んだ「作品と作家のショウケース」だった場合がある。他人に歌われることを前提にして、楽曲のプロモーションを目して作られたアルバムが、相当数あると思われる。
この点については、もうちょっと突っ込んで調べた上で、まとめてみたい。
アルバム「Going Through The Motions」をプロモートするために、彼の過去のヒット(再録)と新作で構成したラジオ・スポットを収録したレコード。リリース元のRoboxはアトランタのマイナー・レーベル。ビル・ロウリー・プロダクションとの関連を想像してもいいだろうと思うのだが、さてどうだろうか。(大江田信)
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