Kenny Rankin ケニー・ランキン / Silver Morning

Hi-Fi-Record2010-12-01

 家の近くの理髪店に散髪に行く。丁寧で清潔な仕事ぶりが気に入って、このところ通うようになった。
 昔ながらの家族経営のお店で、いまは親子二世代、都合四人が店に出ている。食事時になり、まだまだ小さい二代目の息子クンがお腹がすいたと訴えに来くると、気がつけばさっきまでとは違う手がボクの髪を洗っていたりする。


 店内には、ごくごく小さな音量で、音楽が流れている。店舗を改装した時にスピーカーのシステムを配置したのだそうだ。
 なんとなく買って来たCDを聴いてみて、気に入った音源を別メディアに入れ、それを繰り返し店で流していると聴いたのは、二年ほど前のことだったか。それ以来、髪を切ってもらいながら、二代目の若主人と音楽の話をするようになった。


 といっても格別に音楽に詳しい訳ではなく、系統だててCDを買っている訳でもない。理髪店の店内に馴染まない音楽は避けつつ、自分の耳で確かめて直感的にいいと思ったCDを買って来ては、自身で編集して流している。
 あるとき聞こえてきたのは、チェット・ベイカーのアルバム「シングス」からの一曲だった。「これ、チェット・ベイカーですよね?」と訊ねると、嬉しそうに「評判いいんですよ」と言う。「好きなお客様もおられて。いいねえなんて言ってもらえて」。


 ふと忘れてしまった曲を聴いて、「これ、誰だっけ」と二人で顔を見合わせることもある。お互いにアーチストの名前も曲のタイトルも忘れていて、しばらくしてボクが思い出す。彼は「そもそも覚えてないんです」と言う。
 気持ちのいい音楽が流れていれば、タイトルやアーチストを思い出さなくてもいい。そういう場所のそういう音楽だ。ただし、ボクにはふと気になる曲が織り込まれている。若き二代目の好みがそこにうっすらとにじんでいるし、有線放送とは比べ物にならないくらい配慮がある。


 久しぶりに昨日また髪を切りに行った。
 今までのレパートリーにノラ・ジョーンズが加わり、マイルス・デイヴィスクインシー・ジョーンズマイケル・フランクスなどが加わっていた。
 そして今までにくらべて音量が少しだけ大きくなっていた。
 「音、大きくしたの?」と聴いたら、嬉しそうに「少し自信が出て来たんです」という。「始めの頃はなんだか、どうしていいかわからなかったんですけど。おかげで評判もよくて」との答えだった。


 照れくさそうに言う、その感じもわかる気がする。あの作家がいい、あの本がいい、あの映画がいいと語るよりも、自分の選曲を実際の音楽と共に聴いてもらう方が、ずっと恥ずかしい。恥ずかしいということは、自分というものをさらしていることだし、ずっとホントらしいと思う。


 たぶん好きかもしれませんよと、ぼくはケニー・ランキンを勧めてみた。
 次回に髪を切りに行った際に、「Haven't We Met」や「Penny Lane」が店内のスピーカーから聞こえて来たら、どんな気持ちになるだろう。ひげ剃り中だったら、じっとしていなければならないのが残念だけれども。(大江田信)


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