Frank Sinatra / The Christmas Album

Hi-Fi-Record2010-12-12

 昨晩にNHK BS2で放送された「どれみふぁワンダーランド」の録画をぼんやり見ていた。
 レギュラー出演者の戸田恵子さんが、「白いブランコ」を歌っている。
 アコースティック楽器によるシンプルなバッキング。アレンジャーの宮川 彬良さんが、アコーディオンを弾く。このアコーディオンがいい。


 歌部分が終わって、間奏に入る。
 すると宮川さんのアコーディオンが、メロディをそのままトレースしている。
 これを聴いていうちに、はっと気付いたことがあった。


 アコーディオンの演奏は、メロディのほぼトレース。フレージングのニュアンスにちょっとした思い入れが見いだせるものの、決してアドリヴを盛り込んではいない。
 だからこそいいのだ、ということを。


 一番、二番と歌詞を追いながら、気持ちの高まりを得ている聴き手に取って、ああ、そうなんだ、こういう歌詞なんだ、こういうことを歌っていたんだと歌を飲み込んだり、歌を知る者にも今いちど歌詞をフォーローしつつ思い返す時間を与えているもの、それが間奏。間奏とは、聴く者が歌を噛みくだいて、飲み込むために与えられる時間なのだ。


 これまでアドリヴをとることもなく、ただただメロディを弾くことに終始する間奏の作り方に疑問を感じていた。芸が無いなあと思って来たことも確かだ。
 しかし歌の世界に入り込んでいる聴き手に取って、間奏においてまでも遊びの多い器楽演奏を聴かされる必要は、必ずしも無い。歌のタイプにもよるのかもしれないが、聴き手には歌を体に染み込ませる時間が設けられる必要がある。そんな時に必要な間奏は、例えば宮川さんが弾くようなメロディのトレースなのだと深く納得したのだった。


 メロディをトーレスする間奏に、芸が無い訳ではない。いや、おそらく芸が有る。
 そんなことに気付くと、こんどは急に間奏の作り方に関心が向き始める。


 たまたま聴いていたシナトラのクリスマス・アルバム。
 冒頭曲は、誰もが知っている「ジングル・ベル」。
 間奏を待っていると、メロディのトレースだった。わかりやすくメロディを奏でている。
 ただし単なるトレースではなかった。とてもイカしているスキャット・コーラスがハーフ・コーラス分だけ、演奏された。
 こんなところにも配慮と洒落っ気があるんだなあと、なんだかとても感心してしまった。
 試聴を聴いていただいても、間奏の前で終わってしまうのが残念なのだけれども。(大江田信)


試聴はこちらから。