Central Park Sheiks / Honeysuckle Rose

Hi-Fi-Record2011-01-08

 TBSラジオの番組「安住紳一郎の日曜天国」のポッドキャストを聞いた。いま一番、チケットが取りにくいとされるというゲストの落語家、立川談春トークを聞いていると、このところの落語の人気沸騰について彼が分析を加えていた。


 自身が落語界に入ったころ、30年ほども前には全く人気がなかった落語が、いまは大変な集客を可能とする芸能となった。かつては新参者を拒むかの空気も伺えた客席には、いまで新しい聴衆が座っている。その理由について、彼は「誤解を恐れずに言えば、落語が一度、断絶したからだと思う」と語っていた。


 過去の歴史と無縁のファンが誕生した。それは落語の歴史が一度、断絶したから。
 へえ、なるほど、そうなのかとちょっとした驚きと共に、話を聞いた。
 落語を聞くに際して必要とされる知識とか素養とか、そうした過去の蓄積と無縁な聴衆の登場が、今の落語のブームを形作っている。それは有り体に落語の復権と言ってしまうと、たぶん違う光景なのだ。それこそ断絶という言葉を使うにふさわしいのだろうと、なんだか妙に腑に落ちつつ思った。
 また今の状況を断絶の後として認識して、自身の態度を取り方を考えることが、より積極的な落語家としてのあり方をもらたらすのだろう。立川流と言う、従来の落語の勢力図からはみ出した所で力を付けて来た落語家なりの身のこなしとも受けとれる。そんな彼の話し振りだった。


 ポッドキャストを聞いていたのは、通勤の電車の中。ふと目に入ってきたのは、ウイスキーのトリスを用いたハイボールの車内広告だった。
 このところハイボールが大変なブームだと言う。テレビCMが功を奏したという説が有力のようだが、素地のないところにブームが生まれることはないはずだから、たぶんどこかに発火点はあったのだろう。
 昔のハイボールの飲まれ方を多少は知っている感覚からすれば、今更ハイボールがブームになるというのが、にわかに信じがたい。
 などとたわ言を言っていると、新参者を拒んだ落語のオールド・ファンのようになってしまう。それは、いやだ。あっち側ではなくて、こっち側にいたい。新参者の集う側にいたい。なんだか急に、とてもそう思った。



 ひとつの音楽をめぐっても、あっち側と、こっち側の聴衆があり得る。
 それは新しい聴衆に新たな楽しみを発見された幸せな音楽なのではないか。
 たとえばこんな音楽。(大江田信)


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