Les Paul レス・ポール / The System / Los Angeles
音楽を聴きながら、完成度の高さを感じたり、整っている仕上がりと思い知ることに、どうも今ひとつ興味を持てないのかもしれないと、このところ改めて思う。
友人の小林政広の映画「春との旅」が、本年度の毎日映画コンクールで日本映画優秀賞を受賞した。そして重要な役どころにキャスティングした徳永えりが、新人賞を受賞した。
小林のインタビューを読んでいると、「俳優の“共犯関係”がうまくいった。役者同士で火花が散ってました」とコメントしていた。そして、記事はこう続いた。
ベテランの間で戸惑う徳永を容赦せず追い込んだ。そのかいあって、感情を吐露するクライマックスの場面で、仲代と互角にわたりあった。「ぼくへの怒りを爆発させられたかな」。
役者が役を演じるのではなく、役を生きるように演出が行われた。
そんな内容が語られているのではないかと思いながら、記事を読んだ。映画には全くの門外漢なのだが。
音楽になぞらえて考えると、ぼくにはすんなりわかる。
ライヴとは、リハーサルされた内容を披露する機会ではなく、リハーサルすることで確認し合った内容を踏まえながら、音楽する場所なのだ。音楽の複製を披露するのでなくて、今一度、音楽を生きる場所である。
毎回、毎回、そんなことを自分に課したら大変だろう。過去の自分をなぞることもあるだろう。それがひとつの芸として、見るものの目に映ることもあるし、それが嬉しいこともある。
お気楽にさらっと演奏することもあるのかもしれない。
それでも、はっとする一瞬があった。
亡くなる数年前、ニューヨークのジャズ・クラブで見た最晩年のレス・ポール。
彼の体のなかには、こんな音楽づくりのプロセスを経ながら生きて来たヤンチャな精神がしっかりと息づいているように、改めて感じたのだった。(大江田信)
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