Jean Ritchie, Oscar Brand And Tom Paley / Courtin’s A Pleasure

Hi-Fi-Record2011-02-17

 お会いしたことのアーチストのことを書こうと思ったが、どうも日本の方々のことを書くのは気持ちが乗らないので、外国人アーチストとすることにした。


 トム・ペイリーは、下の写真の真ん中に座ってバンジョーを手にしている人だ。バンジョーの汚れ具合と良い、スーツ姿のよく似合う姿と良い、どこで聞いたのか教師をしていたという履歴(いま調べて見たら、そんなことは書かれていなかった)がある人だという知識から、とても落ち着いた学者肌の人と勝手に想像していた。



学生時代に一月半ほどヨーロッパを旅行した時、10日ほどロンドンに滞在した。タウン誌を見ていたら、トム・ペイリーの名前を見つけた。
 70年代の初頭、トムはイギリスに暮らしていた。それを知っていたボクは、いささか嬉しくなって、ならばと案内に記されている住所を訪ねた。そこは街の公民館のような場所で、そこで催されているスクエア・ダンスの講習会のようなもので、彼はバンジョーを弾きながら講師役を務めていた。会場にいるのはおばあちゃんが多かったと思う。小さな部屋で数人の女性たちを相手に、何回か同じ曲を弾きならが、踊りの手ほどきをしていた。


 休憩になったところで、トムに挨拶にいった。
 トムは、それまでぼくが想像していたようなタイプの人ではなくて、せかせかと動き回り、なにやらちょこちょことメモを取ったり、しゃべったりするひとで、片時も落ち着くことのない人だった。


 出来るなら一杯話を聞いてみたいと思ったボクの期待は、すぐに敵わないこととわかった。サインを頼みに行った。日本から来たんですと言うと、「あっ、そう」と言いながら、次の教材の準備を始めた。


 海外でアーチストに会う際に、それなりに思いを込めて「日本から来ました」と伝え、「あっ、そう」と言われる経験をこれまでに、何回かした。
 そういえばいつが初めてだったろうと思っているうちに、トム・ペイリーのことを思いだした。


 トムに逢いに行く日本人が、そんなに何人もいるとは思えない。たぶんニューヨーク生まれのトムにとって、外国、しかもイギリスに行くと言うことは、それほどの大変なことではないのかもしれない、同じ英語の国だし。イギリスにやってくるなんて、ボクには大変なことなのに、などと思いながらホテルに戻ったように記憶する。ボクはヘコんだのだ。


 トム・ペイリーのボクの印象は、"セカセカと動き回る人"である。
 こうしてトムに逢ってからは、彼が在籍したニュー・ロスト・シティ・ランブラーズを聞く時にも、だいぶ印象が変わって聞こえるようになった。
 つい真面目で堅い印象をもって見てしまう"アメリカの民謡を歌う人"というのも、フツーの人なんだなというのがボクの実感だった。学者が歌っているんじゃない、その音楽を愛している人が歌っているんだと、妙な納得をしたのだった。


 トムの歌声が聞こえるレコードを選んでみた。なんだか、懐かしい。(大江田信)



試聴はこちらから。